2012年9月16日、兄が傷害致死で殺された。享年31歳だった。

当時20歳と21歳の犯人の男ふたりは、今刑務所にいる。


あの出来事から今に至るまでのわたしの心境や、わたしたち家族に起こったことを書いていこうと思う。






2012/9/16



わたしの兄の名前は高木優。

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兄とわたしは2人兄妹で、年は6歳離れている。兄は名古屋市内のマンションで、奥さんと2人の息子と一緒に暮らしていた。息子は当時9歳と3歳で、上の子は心優しい子で、下はわんばく坊主。25歳だった当時のわたしは、岐阜県にある実家に住んでいた。

兄が死んだ日のことは、今でも昨日のことのように覚えている。その日わたしは23時頃に帰宅し、2階にある自分の部屋にいた。1階にいる母に呼ばれ、「掖済会病院 って知ってる?」と聞かれた。わたしは「知らない」と答えた。

なぜそんなことを聞くのかと尋ねると、兄が救急車で運ばれて、掖済会病院に搬送されたと警察から連絡があったそう。夜遅かったので、父がひとりで病院へ向かった。実家から病院までは1時間半くらいだ。

このとき、父も母もわたしも、あまり兄の心配をしていなかった。その日は3連休の中日で、どうせ酔っ払って路上でぶっ倒れているところを運ばれたとか、そんなところだろうと思っていた。そういうアホなことをいかにもやりそうな人なのだ。



うとうとと眠りかけていた深夜1時に、1階にいる母から電話がかかってきた。寝ぼけて電話に出ると、母は泣いているみたいだった。「お兄ちゃんが死んじゃった」と言っていた。わけがわからなかったので1階へ行くと、母が泣き崩れていた。どうやら病院に着いた父から兄の死を知らせる連絡があったらしい。

死んだといわれても、よく意味がわからなかった。まるっきり実感がなかった。死体を見たわけでもないから、何かが失われた感覚もなかった。その日は深夜の4時頃に眠りについた。意識が混乱して、眠れないんじゃないかと思ったけれど案外眠れるものだ。ショックで眠れなくならないわたしは薄情なやつだと思った。眠るまでの間、「お兄ちゃんが死んじゃった」という言葉が頭の中をぐるぐるぐるぐる回っていた。




続く。