外国へ行くといつも「べき」が少ないと感じる。

国によって違いはあるけれど、外国人は日本人と比べて「こうあるべき」という思考の度合いが少ない。

 

ダウンタウンへ向かうトロリーバスに乗ると、運転手がやたらと陽気だった。車内に自分の好きなCDを流し、ノリノリで運転している。

信号待ちですぐ横の工事現場で友人が働いているのを発見した運転手は、クラクションを鳴らして「よお!調子はどうだ!」と大声で話しかけた。会話は信号が変わるまで続いた。

 

彼らの中心は「自分」であり、自分がどう思うか、自分がどうしたいかが先にくる。誰かの顔色を見て行動をしている人などほとんどいない。

彼らを見ていると、どうあるべきかなんて考えず、直感にしたがって生きていけばいいんだと素直に思える。みんなが「自分」を世界の中心に置いても世界は成り立つ。もしかしたらそう思いたくて、わたしはそういう場面を探しているのかもしれない。

 

彼らは自己主張をためらわない。

レストランで食事をしていると、50代くらいのおじさんが一人で入ってきた。通された席が気に入らず、奥の席を見せてくれと店員に要求し、奥に通された。だけどその席も気に入らなかったようで結局元の席に戻ってきた。

座りたい席に座るのは当たり前という態度のおじさんと、当然のように対応する店員。日本と違い、おもてなしの心を持たない海外では言いたいことは言わなければ伝わらない。こうしたいと思えば、素直に言わなければ誰も察してはくれない。かゆいところに手が届く、ということはありえない。

だからこそ意見は尊重される。日本ではわがままと言われる要望も、当然の権利として認められる。そんなわかりやすくてイーブンなところがわたしは好きだ。

 

 

4日目の夜のことだった。一人でワイキキのショッピングモールをぶらぶらしていると、あるショップの入り口に立った店員が、わたしに何かを投げるそぶりをした。何かなと思って足を止めると、愛想のいい笑顔をうかべた太めの男性店員が、こっちに来なよ!というジェスチャーをした。

そのそぶりがあまりにも自然だったのでついていくと、そこは化粧品を扱うショップだった。しまったと思ったけれど、出ていくわけにもいかず店員のすすめるまま奥の席に座った。

店員は3つの化粧品を取り出し、わたしの腕に塗りだした。

化粧水、クリーム、もうひとつクリームを塗り、「ほらみて白くなったでしょう、さわってみて、もちもちだから」とい言う。特にもちもち感はなかったけれど、一応「おおー」と驚いたそぶりをしてみた。

 

成分を簡単に説明すると「どれにする?」と言う。あまりの唐突さと、あたかも買うことは決定しているかのような言い方に驚いた。

絶対に買わないぞ、とわたしは心の中でつぶやいた。どんな勧誘にも、ノーと言い続ける。強引に勧めれば日本人が買うと思ったら大間違いだということを、この太めの店員にわからせるためにも絶対にノーと言い続けてみせる。

 

「お金がないから無理」と言うと、「信じられない。ひとつくらい買えるだろう。どれにする?」と言う。「他に買わなければならないものがあるから、これを買うお金はない」と言うやいなや、愛想笑いを浮かべていた店員の顔が一変し、「You leave!」と鋭い口調で言い放った。

 

意外だった。こんなにも早く解放されるとは思わなかった。そしてなにより、なぜ怒られなければいけないのかわからなかった。頼んでもいないのに施術したのは向こうで、商品に魅力を感じられないのも店員の腕のなさのせいで、買わないからといって怒られるいわれはない。

 

だけどこうも思う。彼らからしたら、買うつもりもないくせに、店に入って来るなという考え方なのかもしれない。お金がないのなら、はじめからそう言えばいい。そうすれば彼も無駄な時間を過ごさなくてよかった。

買うつもりのないものを試す、という感覚は、この国の人にはないのかもしれない。もしかしたら日本独自の感覚なのかもしれない。この感覚のズレに、異文化交流のおもしろさを感じながら、夜の街をうろついた。

 

 

続く