来月から世界を旅する予定なのだけど、わたしが目指しているのは「現地の人たちの生活を体験する旅」。世界の人々の生活や価値観を知り、発信したい。そのために現地の人の家に泊まって、一緒に時間を過ごしたい

十分な資金がないので、「体験」と「食事と泊まる場所」をトレードしながら旅をしたいと考えている。

詳しくはこちら:資金を貯めずに自分の体験をシェアしながら世界中を旅するのは可能?

「体験」とは、兄の事件のことだ。兄は2012年の9月に傷害致死で亡くなっている。犯人は2人いて、彼らは今刑務所にいる。事件から2年半、いろんなことがあったけれど、今は犯人のことを恨んでいない。彼らが出所して、幸せになることを願っている。

詳しくはこちら:誰かを恨んで不幸になるのは自分だ。許せない相手を許せたとき、人は幸せを感じることができる。

わたしが犯人の幸せを願えるようになるまでの体験を、同じような思いをしている人に届けてみてはどうかと友人にアドバイスをもらった。プロモーションビデオを作成して世界中に発信し、「話を聞かせてほしい!」というオファーを募る。できあがったビデオはこちら。

https://youtu.be/1nmFfIOVk4A

昨日Facebookにアップすると、シェアしてくれる人、励ましの言葉をくれる人、団体を紹介してくれる人……たくさんの人が協力、応援してくれた。本当にうれしかった。

こんな素敵な言葉をくれる人もいて、感動して泣きそうになった。
Being authentic to yourself and the world - I think there's a real strength and beauty lies within.



 

先日ヒッチハイクをして気がついたのだけど、ヒッチハイカーに声をかけられた人が取る反応は大きくわけて2つある。ひとつは警戒や不信感をあらわにする人、もうひとつは好意的な反応を示す人だ。圧倒的に前者の方が多い。

何がこの2つの違いをもたらすのだろうと考えてみると、「冒険した経験の有無」なんじゃないかと思った。なぜかというと、見ず知らずのわたしを東京から名古屋まで連れて行ってくれた2人の方は、1人は「若い頃バイクで日本一周」もう1人は「20年勤めた会社を辞めて、北海道をバイクで一周」という経験を持っていたからだ。

彼らは、ヒッチハイカーのわたしに何かしらのシンパシーを感じて、受け入れてくれたのだと思う。冒険を経験した人間は、冒険をしようとしている人間を応援したくなるのだ。

 

これは単に「似たような経験をした」ということだけではなく、生き方に通じるものだと思う。異質な人間を目の前にして、露骨に引いた顔をする人、拒否反応を示す人は、冒険をしたことのない、つまり自分の意見よりも常識や周りの目など「他人軸」で生きてきた人なのではないかと思う。

周りの意見や常識にとらわれず、自分のしたいことをしてきた人は、異質な人間に寛容だ。なぜなら「人の目を気にせず自分のやりたいことをやる」ことに「マル」をつけているからだ。きっと、今回のわたしの「体験をシェアしながら世界一周」という冒険を応援してくれる人は、自分も日々何かに挑戦していたり、冒険した経験がある人なのだと思う。

冒険を避けて生きていると、人の冒険を蔑む人間になってしまう。他人の目や常識に縛られていると、非常識な人間を排除しようとする人間になってしまう。心から人を応援できる人は、自分軸で生きている人。わたしは冒険する人を応援できる人間になるためにも、自分も冒険し続けたいと思う。ヒッチハイクをしている若者を、瞬時に乗せてあげられるような人間になりたい。誰かの馬鹿げた挑戦を思いっきり応援できる、わたしの周りにいるような素晴らしい人間になりたい。