ハワイ最後の夜、父がクレジットカードを差し出し「これで好きな物買ってこい」と言った。わたしはありがたくカード受け取り、興奮しながらショッピング街へと向かった。
ところがどれだけ歩き回っても、欲しいものが見つからない。ブランドのバッグ、靴、アクセサリー、服。何を見ても心が踊らない。何か欲しいものはないかと考えてみても、ショッピング街で買えそうな物の中からは何も思い当たらない。
そのときふと思った。わたしはもう物への執着を手放しているのかもしれない。わたしはすでに必要なものはすべて持っていて、何も足す必要がない。今の状態で、十分すぎるほど満たされている。
そう思うとうれしくなった。
カラカウア通りを歩きながら、ショッピングをあきらめてクラブへ行こうかと考えていると、アクセサリーを並べた露店が目に入った。露店と言っても小さな台の上にいくつかアクセサリーを並べただけの簡単なものだ。台の隣に20代後半と思われる、金髪ショートヘアのお姉さんがアクセサリーをつくりながら座っていた。
気になって眺めていても、声を掛けずにいてくれるのがありがたかった。
シルバーのリングに小さな貝殻とヒトデのチャームがついたブレスレットが素敵だった。値段を聞こうとして、わたしは現金を持っていないことに気がついた。ダメ元でカードが使えないかと聞いてみたけれど、案の定ダメだった。
露店を離れ、どうしようかと思いぶらぶら歩いていると、昼間は全く気づかなかった場所に両替所があった。わたしはこれから各地を旅していく中で、一つの土地に一つのブレスレットを買おうと決めていた。それはデパートで売っているようなものではなく、そのとき、その場所でしか買えないような手づくりのものがよかった。
さっきの露店で見たブレスレットは、まさにそれにぴったりだった。すべてハンドメイドだと言っていたし、きっとこの機会を逃したら、一生手に入らないもののような気がした。
ホテルに戻り、3千円を手に両替所へと向かった。
両替すると24ドルと小銭が少々だった。再び露店に戻ると、お姉さんが「また来てくれたわね」と笑顔で迎えてくれた。目をつけていたブレスレットの値段を尋ねると、「あなたが決めて」と言う。
きっと彼女は昼間はなにか別の仕事をしていて、夜になるとこうして露店を開き、趣味でつくっているアクセサリーを並べているのだろう。
持っていたドルをすべてお姉さんに渡した。枚数を確かめようともせず、心からありがとう、という感じで感謝を伝えてくれた。わたしはすがすがしい気持ちになった。
24ドルが高いのか安いのかはわからないが、客に値段を決めさせるということはたったの1セントしかもらえない可能性もあるのだと思うと、わたしは気前のいいほうかもしれない。もしかすると、そのほうが結果的に高値で売れるということもあるのかもしれない。
わたしはハワイに来てはじめて意味のあることにお金を使ったような気がした。
…
旅に出ると自分という人間がよくわかる。どんどん新しい自分に出会える。いい意味でも悪い意味でも。わたしは新しい自分を知れるたびに、よろこびを感じる。まだこんな自分が眠っていたのか、ハロー、新しい自分!という感じでうれしくなる。
同じことを繰り返す毎日を過ごしていては、決して気づくことのできないことだと思う。人は環境の変化によって自分を知ることができる。どんどん知らない場所へでかけよう、どんどんやったことのないことをやろうと思う。
自分という人間と嫌というほど向き合い、驚くべき自分に出会おう。
わたしが旅行、旅に求めているものは、新しい自分を知ることかもしれない。自分にない価値観を知り、受け入れていくことで、自分を広げていくことかもしれない。美しい景色を求めるのは、それを見た自分がどういう気持ちになるのかを知りたいからかもしれない。
まだわたしは、手放しで旅行を楽しむ、ということはできそうにない。いつも旅の中に自分を見ている気がするからだ。きっと年を重ねるたびに旅の楽しみ方も変わってくるのだと思う。それはそれで楽しみでもある。
ハワイは、本当に素晴らしかった。けれどたったの5日でハワイの素晴らしさは体験しつくせない。またきっと来たいと思う。
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