ひとりで海外へ出かけたり、ヒッチハイクをしたり、会ったばかりの人の家にずうずうしく泊まらせてもらったりしていると、人から「行動力があるね」「度胸があるね」と言ってもらうことがある。


人から褒めてもらうのはうれしくて、「そうか、わたしは行動力があるんだな」「わたしって度胸あるんだ」と思っていた。


だけど世界をひとりで旅してみて、その自信はへし折られた。



飲食店にひとりで入ることができずに、店の前を何度も行ったり来たりしている自分。

ドミトリーで一緒になった外国人に、話しかけたいのに勇気がでないでいる自分。

まったく外国人の友だちができず、結局日本人にばかり頼っている自分。



そんな自分に会うたびに、なんでわたしはこんなことすらできないんだろうと落ち込んだ。全然むずかしいことじゃないし、簡単にできてしまう人は沢山いるのに、「行動力がある」「度胸がある」はずのわたしが、こんなこともできないのか。みんなに褒められて得意になっていたけれど、全然だめじゃん。



オーストラリアでのことだった。ひとりで飲みに行こうと思い、街に出てきたはいいけれど、いつものように、バーの前で、中に入れず二の足を踏んでいた。ほんとうに勇気がないな、と少し落ち込んだときに、ふと「自分に対する評価を、ものすごく高くしているから、そのギャップが苦しいんだな」と気付いた。自分のことを「行動力があって度胸があってすごい!」と思い込んでいるから、そうじゃない自分を情けないと感じていた。

それってすごくアホらしいな、と思った。もう、「できない」と認めてしまえばいいじゃないか。わたしは行動力もなければ、度胸もない。勢いよく世界に飛び出したはいいけれど、中身は小心者でダメダメなやつ。それでいいじゃんか。


不思議なことに、自分のことをダメなやつと認めてしまったら、とたんに楽になって、すんなりバーに入ることができた。そのとき自分の中でできた合言葉は、「どうせかっこ悪いんだから」だった。


たぶんわたしは、「かっこ悪いと思われたくなかった」んだと思う。他人にかっこ悪いと思われたくないし、かっこ悪い自分も見たくない。

店にひとりで入れないのも、「周りが超盛り上がっているのに、わたしだけひとりで、さみしいやつって思われたらどうしよう」と思っていたからだし、外国人に話しかけられないのも、「下手な英語を笑われたらどうしよう、うまくコミュニケーションが取れなくて、変なやつだとおもわれたらどうしよう」と思っていたからだった。


「どうせかっこ悪いんだから」と、開き直ってから、いろんな場面で勇気を持つことができた。「大丈夫、できる」ではなくて、「どうせかっこ悪いんだから、恥かいたっていいじゃん」「どうせ英語下手なんだから、笑われたっていいじゃん」と、気楽に考えることができるようになった。

そして、やっぱり勇気が出なくて行動できないときも、「しょうがないじゃん、できないんだから」と思うことで、自分を認められた。すごくすごく楽になった。


わたしたちは、自分が「できること」に対して自信を持つことが多い。だけど、自分を情けないと思ったり、ふがいないと落ち込むのは、その「できること」に対する自信のせいだったりする。だからもうできない、かっこ悪いと割り切って、さらにどうせかっこ悪いんだから!と開き直ってしまえばいい。

できない、かっこ悪い自分を認められることが、自信なんだと思う。




よかったらポチッとお願いします♡
人気ブログランキングへ