2015年12月



1年の最後の日。みなさんはどのように過ごしていますか。


わたしは自分の部屋で、映画を見たり部屋いじり(?)をしたりこうやって文章を書いたりして、いつもと変わらず過ごしています。 


20代前半までは、ひとりで過ごす年越しなんてありえなかったな。年越しやクリスマスや誕生日などのアニバーサリーは、必ず誰かと過ごすもんだ(そうじゃないと悲しい人みたい)って思っていました。


ここ数年はそういうのもなくなって、今年に至っては年越し感もまったくなく、たとえば5月14日から5月15日になるのと何も変わらないような感覚でいます。2015年から2016年に変わる日ではあるけれど、それは数字上のことであって、わたしたちが過ごす1日は、毎日が特別で、毎日が同じくらい大切で、それでいて毎日が平凡で、毎日が普通なんだと思います。


だから無理にお祝いするのはやめよう。(いやみんな無理してないと思うけど)





こんな感じだから、「来年の目標は!」とか「来年こそは!」とかまったくありません。仕切りの目標は意味がないといいますし、わたしもそう思います。人間の意志ほど薄弱なものはありません。




でも紙に書くと願いが叶うというのも事実だから、一応それらしきものは書いてみました。


それは「直感に従って生きる」でした。2016年だからそうするんじゃなくて、2017年も、2020年もそうやって生きていきたいと思います。なんなら2015年の今日だってそう生きていたいです。




わたしは考えるのが好きなので、いろいろあれこれと考えたいんですが、最近はちょっと考えるのを意識的にやめてみました。そしたらめっちゃ楽になりました。


今までいろんなことをごちゃごちゃと考えて、自分で自分を苦しめていたみたいです。



考えるのをやめると、人はどうなるのか。むっちゃゆるくなります。



多分全然まだまだ固いし、気をぬくと思考がガチガチになっちゃうけど、(普通気を抜いたらゆるくなるよね?w)これでも一昔前に比べたらだいぶゆるくなったと思います。昔のブログとか超攻撃的だもん…


でも元々の自分は、ゆるかったなあとも思っていて。本来の自分を取り戻しつつあるってだけのことかもしれません。



ゆるくなって思うのは、目の前にあるものに今までちゃんと目を向けてこなかったなあということ。ゆるくなると、目の前にある幸せがたくさん見えてくるんですよね。自分が受けている愛情にもたくさん気づけるし。結果的に幸せな気持ちになれます。



頭でっかちのときって、将来のために何をしようっていう考えや、損得で物事を考えたりしちゃってて。基本目線がどっか遠い未来に行っちゃってる。今を見ていない。




ゆるくなると、何かを目指したりとか、意味のあることをしたりとか、将来のために何かをすることがなくなります。ただ、自分の好きなことをする。ただ、自分が楽しいと思うことをする。そして、やりたくないことはやらない。それだけです。


(どうでもいいけど大きな目標を掲げてメラメラしている人がなんか最近怖くて…近寄ったら溶けそう)




ふとした瞬間に、不安に襲われることはあります。キャリアとかスキルとか捨ててますから。大丈夫かしらわたし…と思うことはあります。だけどそれは長年の間違った洗脳のせいなので、不安になるのもしょうがない、と理解しています。


どうせ我慢強くもないし、やりたくないことは続かないし、不安を感じたからといって不安を動機に何か行動に移せる人間でもないので、どっちにしてもこのままゆるく生きるしかないんだと思います。






2015年は、人生観が大きく変わった年でした。世界を旅したのが大きかったです。旅をして、日本に家族がいて、家があって、仕事もあって友達もいて、帰る場所があることがどれほど幸せか知りました。


また、旅がどれだけ楽しいかということも知りました。知らないことを知る、知らない場所へ行く、出会ったことのない人に出会う。本当に刺激的で、世界中すべての国と都市に行ってみたいと本気で思いました。


自分のすべてを解放できる旅と、安心につつまれた日本での生活。両方の間を行き来できる立場にあるわたしは本当に幸せだと思います。来年も旅に出る予定なので、今からわくわくしています。




旅の写真はインスタにて:instagram




人生は、自分が思った通りに動いています。焦らなくても、なりたい自分や理想の生活に、少しずつ近づいて行きます。それは大きな写真で見ないとわからないから、気付きにくいだけです。事実、わたしは少しずつではあるけれど、思い描いている人生に近づいています。


だけど別になりたい自分なんてなくてもいいと思います。「毎日が楽しい」の他に大切なことなんてあるかっ?今日が楽しければいいに決まってるじゃないですか。だってわたしたちは今日しか生きられないんだから。




そんな感じで、2016年もよろしくおねがいします。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜






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このあいだ、ふと手に取った本にものすごく感動して、今まで読んだ小説の中でダントツに好きな本になった。それが三浦しをんさんの「風が強く吹いている」だった。


アオタケというぼろアパートに住む10人が、箱根駅伝を目指す青春駅伝ストーリーなのだけど、この本を読んで、今年の箱根駅伝は必ず見ようと思った。読んでいて涙が止まらないほど感動した。



主人公の走(かける)は、高校時代トップランナーだったが、監督とそりが合わず、問題を起こして退部してしまう。


ただ速く走ることだけにを追求し、周りが見えなかった走だが、ほとんどが陸上未経験ながら練習に取り組み、約10ヶ月で箱根を目指せる選手へと成長するアオタケの住人や、リーダーの清瀬と共に、箱根を目指す過程で選手としても人間としても成長していく。「走る」とはなにか。「強い」とはなにか。壮大な問いかけに彼なりの答えを見いだすストーリー。 








わたしは今まで一度も真剣に箱根駅伝を観たことがなかった。正直、おもしろいと思わなかった。小学生の頃は祖父がテレビで駅伝を観ているのを、もっとおもしろいテレビ見ようよと言って番組を変えさせていた。


けれどこれから1月2日と3日は、きっとテレビの前に釘付けになる。だって、「風が強く吹いている」を読んで、駅伝を走る選手の想いを知ってしまった。駅伝の裏にあるドラマを知ってしまった。駅伝のおもしろさを知ってしまった。


「知る」という行為にはいろんな側面があるけれど、自分の中に感動できることや楽しめることを増やしていくという側面を、この本ほど感じたことはない。もしこの本をよまなければ、駅伝とは何かを知ることもなく、「駅伝で感動する(まだ見てないけどきっとするはず)」ことはわたしの人生に起こりえなかった。「知る」って、人生の楽しみを増やすことだ。そうやって楽しみを少しずつ増やしていけたら、すごく豊かな人生になる。


小説は、ただの小説じゃない。ただおもしろいだけじゃない。人生を豊かにしてくれる。知らなかったことを教えてくれる。新しい世界を見せてくれる。


わたしは駅伝を目指したことがないけれど、この本を読んでいる間は、駅伝を目指す選手だった。小説は、自分以外の人生を経験することができる。だからわたしは小説が好き。





心に残った部分を少し紹介します。


強さ。ふと走は思う。清瀬が言った強さとは、これなのかもしれない。個人で出走するレースだとしても、駅伝だとしても、走りにおける強さの本質は変わらない。
苦しくても前に進む力。自分との戦いに挑み続ける勇気。目に見える記録ではなく、自分の限界をさらに超えていくための粘り。


走っても走らなくても、苦しみはある。同じくらいの喜びも。だれもが、それぞれの悩みに直面し、なしとげられないとわかっていてももがいている。
陸上と少し距離を置くことで、清瀬は当たり前のことに気づいた。どこへ行っても同じならば、踏みとどまって、自分の心が希求することをやり通すしかない。


走は確信に近く予感した。俺はたぶん、走ることを死ぬまで求めつづけるのだろう。
たとえばいつか、肉体は走れなくなったとしても、魂は最後の一呼吸まで、走りをやめはしない。走りこそが走に、すべてをもたらすからだ。この地上に存在する大切なもの 喜びも苦しみも楽しさも嫉妬も尊敬も怒りも、そして希望も。すべてを、走は走りを通じて手に入れる。
 



ストーリーはもちろんだけど、走る姿を表現する言葉がすごく素敵で、それだけで感動します。


夜空を切り裂く、流星のようだ。きみの走りは、冷たい銀河の流れだ。

ああ、輝いている。きみの走った軌跡が、白く発光するさまが見える。



 
「風が強く吹いている」



ストーリーがおもしろいのはもちろん、「小説とは一体なんなのか」という壮大なテーマを考えさせられるほど、とてつもない影響を与えてくれた本。本当に読んでよかった。


箱根駅伝が好きな人も、わたしみたいに、見たことがないという人も、きっと1年に1度、箱根駅伝を見るのが楽しみになると思う。おすすめです。


 

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今年の夏に旅を終えて実家に戻った。旅の疲れもあり、次にしたいことも思い浮かばず、2〜3ヶ月ほどぐだぐだと過ごしていた。その間仕事をしていなかったので、自分の部屋にいることが多くなった。


どうせ多くの時間を過ごすのなら素敵な空間で過ごしたいと思い、部屋を改装しようと思った。しかし働いていないのでお金がない。ならば必要なものは買うのではなく、つくるしかない。自他共に認める不器用なわたしが「ものづくり」をする日がやってくるとは夢にも思わなかったけれど、お金がない代わりに時間なら持て余すほどあるので、暇つぶしと思ってやってみることにした。




まず初めにカーテン専門店へ行き、「カーテンの端切れ詰め放題100円」で端切れをいくつか仕入れた。端切れといっても幅1メートル、長さ2メートルはあるのでアイデア次第で用途はたくさんある。わたしと対象的で器な父親に習いながら、クッションカバーと枕カバーをつくってみた。それが始まりだった。


  • ものをつくるよろこび

完成したものは低クオリティだったけれど、「何かをつくるのって楽しい!」という感覚を久しぶりに味わうことができた。


最後に裁縫で何かをつくったのは、中学の授業でだったと思う。決められたものを半ば強制的につくらされる家庭科の授業はまったく楽しいと思えなかったけれど、自分の意思で始めるものづくりは思いのほか楽しい。「やらされる」のと「やろうと思ってやる」には、天と地ほどの差がある。「やらされる」からは何の創造性も生まれず、何のよろこびもない。けれど「やろうと思ってやる」は、人間に想像を超えた幸福感をもたらす。わたしはものづくりの楽しさを初めて味わった。


  • 必要なものはすべて揃っている

それからというもの、捨てようと思っていたデニムを切り取ってグラスを置くコースターをつくったり、物置にしまっていた家具にペンキを塗って自分好みにして使い出したりした。


この辺りから、いらないと思っていたものも、見た目や用途を変えることでなにかしら利用できると気づき始めた。気づいてしまってからは加速した。物置に置きっぱなしになっていたガラクタたちが、とても素晴らしいインテリアになった。



必要なものはすべて揃っていた。今まではないから買わなきゃと外に求めていたものが、すべて自分の家にあった。ただ見ていないだけで、自分が勝手にないと思っていただけだった。


ほしいと思っていたガラスの瓶も、物置のガラクタの山からたくさん見つけたし、ベランダに放置されていた椅子はよく見たらとっても素敵だったので、綺麗に拭いて部屋に持ってきた。使わなくなった家具は色を塗り替えると輝きを取り戻した。


ドライフラワーを飾りたいなあと思った時も、普段まったく足を踏み入れない裏庭にいってみたら、紫陽花が勝手に枯れて自然にドライフラワーになっていた。

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(右が買ってきたドライフラワー。左が家で自然にできていたドライフラワー)


小物入れはリビングにごろごろあふれていたし、間接照明はボロボロになってはいたけれど、物置に転がっていて、リメイクしたら十分使えた。壁を飾るアートや写真が欲しいと思っていたら、iPhotoの中に旅で撮った写真がたっぷりあった。無料アプリでそれらを加工して印刷して部屋に飾ったら、立派なアートになった。 

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きっと今のわたしたちに足りないものなんてなにもなくて、必要なものはすべて用意されている。それに気づくか気づかないかだけなんだと思う。


  • たどり着いたときではなく、向かって歩いているときが幸せ

ものづくりにとどまらず、本格的な部屋改造が始まった。ペンキ塗りの楽しさを知った私は、部屋の壁も塗り替えてしまおうと思った。さっそくペンキを買い、父に手伝ってもらって、何日間かに分けて部屋の壁一面一面を塗り替えていった。


わたしの頭は部屋の改装のことでいっぱいだった。時間があればどんな部屋にしようかとネットで検索し、本屋で雑誌を立ち読みし、ずっと妄想に耽っていた。それを考えるのは本当に楽しくて仕方なかった。


わたしはなんて幸せなんだろうと思った。少しずつ理想の部屋に近づいているよろこび。なにかをつくるよろこび、父と一緒にものづくりができるよろこび。どんな部屋にしようかとわくわくできるよろこび。部屋を改装を通じて、いくつものよろこびがあり、そられに囲まれているわたしは間違いなく幸せだった。



わたしは部屋が自分好みになったらいいと思っていて、自分好みになったら満足感や幸福感を味わえると思ったのだけど、それは違った。自分の目指すところに向かって何かをしている最中が幸せであふれていた。つまりゴールにたどり着いた瞬間が幸せなのではなくて、ゴールに向かって歩いているときが幸せなのだ



今でも暇をみつけては部屋の改装を続けていて、少しずつ理想の部屋に近づいていく幸せを感じながら過ごしている。

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好きなことをしだすと自分も周りも幸せになる


部屋の改装という「やりたいこと」を、やりたりたいままにやりだしてからというもの、「もっとこれもやってみたい」「こんなことをしてみたい」というわくわくする欲求が次から次へと出てきた。それは世間の価値観や常識や見栄とはまったく別の、心からの欲求だった。


そしてそのために働こう、働きたいという前向きな気持ちになった。


生きていくための労働ではなく、好きなことをするための前向きな行動は、人生を明るくする。




そしてこれにはわたしもびっくりしたのだけど、わたしが部屋の改装を始めてから家族が仲良くなった。改装を通じて父と作業をする時間ができ、コミュニケーションが増したという物理的な要因もあるけれど、なぜか知らないけれど父と母も仲良くなったのだ。


わたしは両親と3人で暮らしているのだけど、今までバラバラに取っていた家での食事を、一緒にするようになった。買い物に一緒に行くようになった。同じ家にいながら3人それぞれが自分の部屋を持ち、バラバラに過ごしていたのが、なぜかわたしが好きなことをやりだした途端、家族がつながりはじめた。


わたしたちは仲が悪いわけではないのだけど、かなり冷めた家族だったと思う。それが今では毎週日曜には庭のテラスでバーベキューをするまでになった。


自分が好きなことをすれば、自分が幸せなのはもちろん、周りも勝手に幸せになるのだと思う。根拠はないのだけど、そう確信している。


  • お金がなくなって気づいたこと

これらの幸せを感じることができたのは、お金がなかったからだ。お金があったら、わたしはものづくりをすることはなかっただろうし、そもそも部屋を自分好みに作り変えようという意識にもならなかったと思う。


わたしは両親も健在で幼い頃から祖父母と同居しており、高校1年からバイトもしていたので、お金に不自由をしたことがなかった。必要なものや欲しいものは、贅沢をしなければ大抵お金で買えた。お金があるのは幸せなことではあるけれど、つくらなくても買える状況が、ものづくりの楽しさを味わう機会を損ねさせていたのだとしたら、それはある意味不幸ことかもしれない。



お金がないという、幸せとはかけ離れた(と思っていた)ところからスタートしたのに、今まで味わったことのないタイプの、内側からくるじんわりとくるあたたかい幸福感はなんだろう。





わたしは決してお金がないことがいいことだと言いたいのではない。お金は欲しいし、ないよりあったほうがいいと思うけれど、幸せとお金は必ずしもつながらない。同時に、お金がない=不幸でもまったくないということ。


お金でできることもたくさんあるけれど、お金がなくてできることも同じくらいたくさんある。このことを覚えていれば、お金に振り回されずに生きていける。


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【プロヴァンス2日目】出会って10分の男性に愛を告白された話の続き。


道端で出会った男性にホテルの前で待ち伏せされ、辛くも逃げ切った後、これまた道端で出会った男性に、これまでの人生で最短記録となる「出会って10分で愛を告白される」という体験を経て、フランスというのは愛の大安売りの国なのだなあと思い至った。


でも「これぞフランス!」という感じもしないではない。なぜなら彼らはいたって大真面目な顔をして愛を告白してきたからだ。


これがイタリアだったら、きっと投げキスでもしながら軽いノリで言ってくるのだろう。でもフランス人の愛の告白は、真剣なまなざしでわたしを見つめながら(二人目の男性はサングラスしてたから、ちゃんとわたしを見ていたかは不明だけど)I love youと口にしたのだ。

それはれっきとした愛の告白で、出会って10分でなかったとしたら、気持ちのひとつやふたつ揺れ動いたかもしれない。あくまで出会って10分でなかったらとしたら、だけど。




とにかく、二人の愛の告白を苦笑いでかわし、わたしはアヴィニョンという街を出ることにした。次に向かうのは、ホテルの支配人が「素敵な街」だと教えてくれたエクサンプロヴァンスという街。




バス乗り場へ向かい、 エクサンプロヴァンス行きのバスへ乗り込む。どうやらアヴィニョンからそう遠く離れていないらしい。


バスに揺られながら、だいぶ不安がなくなってきたなと思った。これまで旅の中で不安を感じていたいろんなことが、結局はなんとかなって今に至る。不安は幻想でしかなく、すべてのことはなんとかなる。旅はそのことをわたしに教えてくれた。


もちろん不安はゼロにはならないけれど、でも旅に出る前、日本で感じていた不安や、旅をし始めたばかりの頃の心もとなさは今はほとんどない。


「不安」というのは、未知のものに対して抱く感情だ。何が起こるかわからない、どうなるかわからない不安。でも「どうにかなるのだ」と旅を通して感覚でわかってきた。そしてそうやって割り切ってしまえば、不安はどこかへ飛んでいく。そうなるためには、行動するしかない。実際にやってみる、飛び込んでみるしか不安をなくす方法はないのだと気づいた。



スペインを出て以来、ネットが使えず完全に直感に頼って旅を続けている。次に行く街がどんな街なのか、ホテルは空いているのか、何もかもがわからない。でもそんな状況でも、「わからないことは、誰かに聞けばいい。ホテルがなければ、誰かに泊めてもらえばいい。人は優しい。なんとかなる」そう信じることができれば、知らない土地へ行くことは怖いことでもなんでもない。


人に信じ、人に頼ること。これこそが旅なのかもしれない。だとしたら、海外へ行くことが旅なのではなく、「人と自分を信じて自分の思うままに生きていく」ことを、つまりそのような人生を「旅」とよぶのかもしれない。







しばらくしてバスはエクサンプロヴァンスに到着した。街の中心まで10分ほど歩き、観光案内所を発見した。かなり大きな案内所で、建てられたばかりなのか真新しかった。観光シーズンではないのか中はそこまで混んでおらず、カウンターの優しげなお兄さんにいろいろと聞いてみることにした。


まずは泊まる場所。だいたいの予算を伝え、幾つかのホテルをピックアップしてもらう。パソコンの画面を一緒に見て、よさそうなホテルをその場で予約してもらう。


街のガイドブックをもらい、名所をいくつか教えてもらう。なんでもエクサンプロヴァンスは、セザンヌゆかりの土地らしく、セザンヌの足跡を辿る観光コースがあるのだとか。おお、セザンヌ!あの有名なセザンヌ………



ってどんな人だっけ?




残念ながらセザンヌの作品がひとつも思い浮かばないほどの芸術音痴のわたし。



バルセロナでも思ったのだけど、わたしは絵画や建築などの芸術にすこぶる疎い。美しいものを観るのが嫌いなわけではないけれど、あまり興味がない。バルセロナでは一応サグラダファミリアを見学したくらいで、カサミラやカサバトリョなどは横を通ったときに一応シャッターを押しては見たものの、ほぼスルーした。




そんなわたしだから、セザンヌの足跡はたぶん辿らないだろうなと思いつつ、お兄さんの説明を一通り聞いてホテルへと向かう。ネットが使えないのでホテルまでの道のりをしつこく確認することは忘れなかった。







ホテルで荷物を降ろし、さっそく街を散策することに。途中、ちょうどオペラの野外コンサートが行われるらしく、大通りを封鎖して会場がつくられていた。リハーサルをするオペラ歌手の美しい声を聞くことができてとてもラッキーだった。

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エクサンプロヴァンスは、とても美しい街だ。

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とても洗練されている。

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素敵なレストランもたくさん。

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みな、家族や恋人、友人と楽しい時間を過ごしている。
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美し街並み








素敵なレストラン









楽しそうな人々














………













……………………














やばいめっちゃさみしい。








もう街を歩いて数時間で悟った。バックパックを背負い、一人とぼとぼと歩くわたしは、この場所にまったくそぐわない。ここにわたしの居場所はない。わたしは、とんでもない場違いな場所にいる……。








 






一人でとる食事は、おいしさも感じない。
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寂しさはお酒で紛らわすしかない。


酒だ!酒もってこーい!

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夢にまで見た地、南フランスのプロヴァンスで、これほどまでに孤独に打ちひしがれるとはおもってもみなかった。ひとりって、辛い。ひとりって、寂しい。誰かと一緒にいたい。誰かと話したい。誰か………!



この度で何度も経験してきた孤独が、この日マックスとなって溢れ出た。


方を落とし、ひとり宿に戻る。狭いホテルの部屋で、静かに眠った。





続く。





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【プロヴァンス1日目】全身蛍光色のフランス人に愛を告白される の続き。



世界遺産であるアヴィニョン橋が見える川辺で、逢ったばかりのフランス人に「愛している」と言われた。おまけに体をベタベタと触り始めたので、身の危険を感じてその場を立ち去ろうとしたのだけど彼は決してわたしのそばを離れようとしない。


走って逃げるわけにもいかないので、それならばとホテル探しを手伝ってもらうことにした。初めての国で初めてのホテル探しに若干不安があったので、フランス人の彼がいてくれたら少しは心強い。



しかし残念なことに、行くホテル行くホテルどこも満室だった。そこで彼が、僕の泊まっているホテルなら空いているはずだと言い出した。


冗談じゃない。一緒のホテルに泊まったら、この街にいる間ずっとこの人と一緒にいるはめになるかもしれない。街全体が世界遺産の、美しい街アビニョンの思い出が、全身蛍光色の男で埋め尽くされてしまうなんて考えただけで嫌だ。




けれど彼は「安いから。ここから近いから」を連発する。とにかくホテルを見つけなければならないので、腹をくくってついて行ってみることにした。


しばらく歩くと、彼は街の外れの川にかかる橋を渡ろうとする。どうやら彼のホテルは川の向こう岸にあるらしいのだけど、歩き疲れてクタクタなうえに、中心地から遠ざかるのがいやだったので、「すぐそこだから」と言う彼を振り切って街の中心地に戻ることにした。


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彼は「すぐそこなのに…安いのに…」とゴニョゴニョと言ってたけれど、無視して元来た道を戻ると、しぶしぶわたしに付いてきた。





わたしには心当たりのあるホテルが1件あった。全身蛍光色男に出会う前、街の中心の広場を歩いているときに、前を通りかかったホテルがあったのだ。



そのホテルの入り口には部屋の価格が書かれた看板が立っていた。こんな一等地だからきっと高いだろうと思ってろくに金額を見なかったけれど、看板が立っているのは「部屋が空いている」という証拠だと思った。多少値が張っても、わたしにとって大切なのは金額よりも居心地や立地。安いからといって中心地から遠く、移動がおっくうになってしまうようなホテルには泊まりたくない。




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目的のホテルに着き、彼を外に残して中に入る。フロントの女性に空室を訪ねるとちょうど空いているという。やっぱり多少値が貼るけれど、中心の広場の真ん前という立地が気に入り、泊まることにした。案内された部屋は、こじんまりとしていたけれどとても清潔で、快適に過ごせそうだった。



荷物を下ろして外へ出ると、全身蛍光色男が待っていましたとばかりに、さあ出かけようと言う。そして思いがけないことに、「車を取ってくるから待っていてくれ」と言いだした。車…?






車と聞いていや〜な思い出が蘇ってきた。それはオーストラリアのパースでのことだった。


街で声をかけられた笑顔のかわいいおじいちゃんに付いていき、彼の車に乗り、とんでもない目に逢ったあの記憶だ。


※参照記事:【パース4日目(2)】ハグしながら股間をまさぐる変態じじい。



あれからというもの、どんなにいい人そうに見えても、旅では絶対に男性の車に一人で乗らないと固く心に誓っていた。


「車には乗りたくない。わたしはお腹がペコペコなんだ。そこにレストランがあるから、そこで食事をすればいいじゃない」


そう伝えても、やっぱり伝わらない。「車で出かけよう」の一点張り。





わたしはだんだん面倒くさくなっていた。この人の対応にもそろそろ疲れた。ひとりになりたい。おごってくれるならディナーを一緒してもいいかななんて思っていたけれど、車でデートしようとかもう本当に無理だからどっか行ってくれ。頼む。



そんなことを考えていると、彼が「車を取ってくるからここで待っていて」と言う。よし。これはチャンスだ。







「わかった」と言うと、彼は何度も何度も振り返り、わたしがちゃんと待っていることを確かめながら、車を取りにホテルへと戻って行った。わたしは彼の姿が見えなくなった瞬間ダッシュでその場を離れた。






アヴィニョンはヨーロッパ特有の、路地が入り組んだ作りになっていたので、それをいいことに迷路のような路地に入り、ここなら見つからないだろうと思われるレストランに入り、ひとり静かに食事を楽しんだ。 

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全身蛍光色がいないかどうか注意しながらその後も街を歩いて回り、(ありがたいことに彼は全身蛍光色を身にまとっていたので、注意を払うのは簡単だった)食事のあとはバーへ行き、陽気なバーテンと楽しい時間を過ごし、深夜にホテルへ戻ってぐっすりねむった。


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そして次の日。


10時近くにチェックアウトのためホテルのフロントへ。


このホテルのフロントロビーはかなりこじんまりとしていて、開けっ放しになっている入り口からすぐのところにフロントデスクがある。


階段を降り、フロントの男性に声をかけようとデスクへ近づきながら、ふと入り口から外を見ると…………………


















































全身蛍光色男がいるではないか。
 









やばいやばい!これはやばい!(なんかちょっとそんな気はしていたけども!)本当にいるとは!やばい!




蛍光色男はホテルの前の広場の壁にもたれ、手持ち無沙汰に立っている。わたしはフロントに行きかけていた足を大慌てで戻し、回れ右して入り口から死角になる階段に引っ込んだ。


どうでもいいけどこのときのわたしの動きは、ライオンを見つけたガゼルのごとく機敏な動きだったと思う。蛍光色男を視界の端に捉えた瞬間、全身の毛が逆立ち、脳が全身に警告を発して全筋肉に敵から逃げるための動きをするよう瞬時に働きかけ、普段では考えられないほどの瞬発力を発揮する。人間の危機管理のシステムってマジですごい。







とにかくありえない速さで物陰に隠れ、バクバクする心臓を落ち着かせてから、そーーーーーーーーーーっと外を覗いてみた。











































やっぱりいる。しかも昨日と服一緒。
(そりゃ気付くわ)



























幸いにも彼がわたしに気づいた様子はない。でもフロントへ行けばらわたしの姿が彼に丸見えになってしまう。でもでもフロントに行かないとチェックアウトできない。どうしよう。どうすればいいのだ。




あああ…一体なぜわたしはこの人にホテルの場所を教えてしまったのだろう…一緒にホテルを探すなんてありえない…こうなることは予想できたはずなのに………


激しい後悔の念がおそってきたけれど、もうどうしようもない。今はいかにこの場面を切り抜けるかに全神経を注ぐべきだ。







様子を伺うこと5分。蛍光色男が、あたりをぶらぶらしだした。手持ち無沙汰なので広場を一周するつもりなのだと判断した。よしきた!これチャンス!彼が背中を見せた瞬間、いまだ!とフロントにダッシュした。












チェックアウトの手続きをしてもらっている間、いつ彼が戻ってくるかと気が気でない。早く早く。とにかくはやくチェックアウトしてくれ〜〜〜〜!と願うばかり。





とそこへ支配人っぽい感じの人が現れた。











支配人「ホテルはいかがでしたか、マダム?」










わたし「(挨拶無視)すいません他の出口ありませんか??!」








いきなり何を聞くんだこいつ。だけどわたしは相当切羽詰まった顔をしていたにちがいない。支配人的な雰囲気の人は、少し驚いた様子だったが状況を察知してくれ、「もしかして、誰か外であなたをまっているんですか?」と訪ねてきた。





「そうなんです。ストレンジャーが外にいるんです。ピンチなんです」





彼は深くは聞かず、神妙な顔でうなずき、奥のレストランからの出口を教えてくれた。ホテルの入り口とは正反対の場所にあるので、ここから出れば全身蛍光色男に気付かれず外に出ることができる。







ああああぁぁぁよかった!ありがとう!何かに祈りたい気持ちだったけれど早くしないと彼が戻ってきてしまうので、チェックアウトの手続きが済むとすぐに外へ飛び出し、ホテルが見えなくなるまで全速力で走った。







やった。全身蛍光色男に気付かれず、逃れることができた。


それにしても彼は一体いつまで現れるはずのないわたしを待つのだろうか…。来るはずのない人を待つ彼の姿を想像すると少し切ないものを感じた。



彼はひとりでニースから休暇を利用してアヴィニョンに来ていると言っていた。せっかくの貴重な時間を、知り合ったばかりの名も知らない日本人を待ち続けて無駄にしている…なんなのだろう?他にやることないのだろうか?













そんなことを考えながら街をふらふらしていると、背が高く、帽子とサングラスをかけた40歳くらいの男性にすれちがいざまに声をかけられた。


何しに来ているのかと聞かれ、観光だと答えると、彼はコーヒーを飲もうと誘ってきた。ちょうどカフェの目の前だったのだ。



わたしが答えるより早く、彼は店のマスターにコーヒーを注文してしまう。世界広しといえども、男性の強引さでフランス人の右に出るものはいないのではないだろうか。イエスもノーも言わてもらえないのだから。




彼が注文したのはエスプレッソだった。エスプレッソ!ヨーロッパに来てから、エスプレッソを飲む機会がまだなかったので、本場のエスプレッソが飲めるのはうれしかった。本場はイタリアだと思っていたけれど、フランスでもおいしいエスプレッソが飲めるようだ。


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これぞ本場のエスプレッソ!噂で聞いていたけれど、こっちの人は本当にこの小さいエスプレッソに砂糖を2つも入れる。







ところでこの超強引な彼もフランス語しか話せないので、当然のごとくコミュニケーションが取れない。だが彼は全然気にしない様子で、黙ってエスプレッソを飲みながらリラックスしている。


よくもこの状況でリラックスができるよね…エスプレッソも早々に飲み干してしまい、会話もなく、することもないこの状況に、わたしは居心地が悪くて仕方がない。










しばらくわたしを見つめていた彼だったが、おもむろに口を開いた。そして衝撃的な言葉を口にした。
























































I love you































……………




































はあ?!!?!?



























あのさあのさあのさ、フランス人っていうのはさ、なにかな、「愛してる」っていうのは挨拶みたいなものなのかな。それとも会って10分でお互いサングラスで顔も見えない人でも愛せちゃうくらい心の深い愛にあふれた人たちなのかな。









きっとわたしがいけないんだよね。「愛してる」を重くとらえすぎなんだよね。愛してるなんて「かわいいね」くらいに捉えたらいいんだよね。少なくともこの国では。













まったく愛の大安売りだよこの国は。出会って10分という、愛を告白された最短記録に衝撃を覚えつつ、次第にフランス人男性の性質に慣れつつあるわたしは、笑顔でお礼を言ってこの場を立ち去った。





とんでもない国だと思いつつも、なんか笑えてくる。愛に飢えたときはフランスに来ようと思った。





続く。



 



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