2016年01月



先日の台湾旅行では基本は台北市内を観光していたんですが、最終日は少し足を伸ばして「九份」という街へ行ってきました。


九份といえば、「千と千尋の神隠し」のモデルになった場所ではないかと言われてとても有名になったあの場所です。


台北駅から電車とタクシーを使って1時間ちょっと、一人1000円くらいの交通費で行けちゃうからけっこう気軽に行けます。


どうでもいいけど、台北駅の広さと綺麗さにはびっくりした!

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九份での目当てはほぼ100%「あの景色」を見ること(そして写真を撮ってSNSにアップすること)だと思うんだけど、昼間と夜とでは街の雰囲気がまったく違うから、オススメは15時くらいに着いて、日が出ている時と日が沈んだ後での雰囲気の違いを楽しむこと。


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まさにこのお茶屋さん、阿妹茶酒館でお茶が飲めます。




店の看板。湯婆婆的湯屋だって…。まさに千と千尋。

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店内からは景色を一望できるんだけど、それがまたキレイで。テラス席に座って日が沈むのを眺めるのがオススメです。


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このお茶屋さんでは、台湾式のお茶の飲み方を体験できます。

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決まったお茶の飲み方があるんだけど、ややこしすぎて忘れた…。お茶菓子がとってもおいしかったのは確かです。


完全に千と千尋の影響だと思うんだけど、店内はほぼ日本人でした。だから日本でお茶しているみたいな感覚。日本人でごった返すなか、少し離れた席にいた外国人観光客が、お茶をする姿がすごく絵になったのでひっそり隠し撮りしちゃった。

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街全体は完全に観光地化しているので、お土産やさんでいっぱい。

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一度は行ってみたかった場所だから行けてよかった!でもお土産を見るのとお茶を飲む以外あまりすることのない場所なので、わたしは滞在時間3時間が限界かも。


雰囲気を楽しむのと、あとは写真が趣味な人は楽しめると思います。 





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先日、台湾に行ってきました!


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もうほんと最高でした、台湾。初めてだったんだけど、見事にハマった。帰ってきたばかりだけど、もう「行きたい!」ってなってます。


どこがよかったって、一言じゃ言えないけれど、感覚的に「合うなあ」って。




台湾は日本人にとってすごく馴染みやすい国だと思っていて、日本の食文化やカルチャーが浸透していてどこへ行っても日本を感じられるし、デパート街なんかはとても綺麗で清潔でまさに「日本」っていう感じ。


けれど一方では独特のにおいや町並み、庶民の屋台から「アジアらしさ」も感じられる。



タイやマレーシアはいかにも「アジア!」という感じでわたしには刺激が強すぎたのだけど(そのぶんおもしろくもあるけどw)、台湾はいい感じにアジアで、日本に近いけれど、アジア諸国の国々の風情も残している国だと思う。


台北の街を一通りまわって、若いクリエイターたちの勢いを感じたし、一方ではおじいちゃんおばあちゃんの元気さも感じる。いろんな意味でバランスがいいんだよな〜。



…………



これから台湾の魅力を何回かに分けて書いて行こうと思っていて、まずはコレ。


小籠包の超有名店「鼎泰豊」


HP→鼎泰豊(ディンタイフォン)



ガイドブックに必ずといいほど載っている、観光客に大人気のお店です。激混み必至だけど、やっぱり台湾に来たからには行ってみたかったので、日曜の昼という最も混みそうな時間に行ってきました。


店に到着すると、黒山の人だかり。店の前の電光掲示板には、「75分待ち」の文字。うわ〜やっぱりか〜と思いつつ、人混みの中をかき分けて受付のお姉さんの元へ。


人数を告げてオーダーシートをもらうとき、お姉さんに「相席でもいい?」と聞かれました。

(鼎泰豊では、あまりに混むので効率良くお客を回すために、事前にメニューを決めてオーダーしておける)


かまわないと伝えると、「相席だったら待ち時間なく入れるよ」って。まじで!超ラッキー!相席とか全然オッケーだし!こんな激混みの中並ばなくていいなんでうれしすぎる!

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通されたのは、3階の奥の10人掛けの広いテーブル。2組の日本人グループとご一緒したんだけど、(てか店の中日本人ばっかりだった!)ちょっと仲良くなったりして、おもしろかったなあ。


海外で日本人に会うのって、わたしはあんまり好きじゃないんだけど、台湾は観光名所には大勢の日本人がいるから逆にあんまり気にならなかった。


あと、相席って言ってもきゅんきゅんに詰めるんじゃなくて、2席ぶんくらい間隔があいているから広々ゆったり食事ができました。




オーダーしたものたち。

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小籠包はやっぱり小籠包でした。(なにそれ?)おいしかったけどふつーかも。





これはノーマル餃子!(食べかけw)めっちゃおいしかった!小籠包よりも断然こっちだな〜わたしは。

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これは肉のスジとコラーゲンぷるぷるの脂肪(?)がたっぷり入った麺。色がすごい。。
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わたしはあんまりだったかな。次来ても頼まないかも。




ノーマルな肉まん。味もノーマルでした。っていうかどんな味だったかあんまり記憶にない。

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なんか辛口なコメントになってしまったけど…でも素直な感想です。でも、行ってよかった!だって一度は経験してみないと良い悪いかなんてわからないし、行きたかった場所に行ったということが思い出になるから。



まだ行ったことのない人は、ぜひ行ってみてください。「相席OK」と伝えると、並ばず入れるかもしれません。(ちなみにわたしが行ったのは本店です)


 



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先日、服を買いたいなーと思ってデパートを見て回っているときふと思ったことがあって、それは「安物」は自分を殺すなあってこと。


やっぱり安いものには安い理由が、高いものには高い理由がある。安いものは「着る人」よりも「利益」を考えてつくられているから、より安く大量に仕上げた結果、当然着る人に優しくないつくりになっている。縫製は甘いし、生地はペラペラだし、すぐダメになる。


高いものはいい素材を使っていることが多いから、着るだけで包み込まれているようなあたたかさや、空気を身にまとったみたいな軽さを感じられる。


もちろん、高い=いい、安い=ダメではないけれど、ただ「安いから」という理由でものを買うと、少しずつ自分が死んでいく気がする。


毛玉のついた化学繊維のセーター、糸がほつれたペラペラのシャツ、やたらと重く肩が凝るコート。それらのものを着ると気分が沈む。そのほつれや毛玉を見るたびに、気持ちは深く落ち込んでいく。安いもので身を固めた自分が、ひどく安っぽい存在に思える。


カシミヤのニットはあたたかく、シルクのシャツはなめらかで着心地がよく、カシミヤのコートは空気みたいに軽いのにあたたかくつつみこんでくれる。それらのものを着ると、やっぱり気持ちいいしテンションもあがる。ハッピーでいられる。



合皮と牛皮のジャケットを着比べてみたとする。どちらが心地いいか、きっと体は知っている。牛皮は肌馴染みが良く、着ると肌にほどよくマッチして体をほんわか温めてくれる。科学繊維はひんやりと冷たい。




むやみやたらに高いものを選ぶ必要はないし、値段で選ばなくてもいいと思うけど、着ると心がよろこぶもの、心地いいと感じるもの、テンションがあがるものを選んでいきたいなあと思う。


自分を殺さないために。自分がハッピーであるために、安いからという理由で選ぶのはもうやめよう。
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当たり前すぎて「何をいまさら?」という感じだけど、最近の気づきは「信じていることが現実になる」ということ。


今の現実があるから信じるのではなくて、信じていることで現実をつくりあげている。今の現実あるから、そうである。ということじゃなくて、信じていることが先にあるから、その現実をつくりあげている。(ん?)




つまり、信じて疑わないことが現実になる。




例えばこないだ職場の人が来年の商売の話をしていて、その話を聞きながら「この人たちは来年もこの会社で働くことをまったく疑っていないんだな」って思った。だからきっと彼らは来年もこの職場で働いているんだと思う。



その人が「信じて疑わないこと」が現実になる。



例えば、冷蔵庫からジュースを取ろうとして、冷蔵庫に向かい、ジュースを取って注いで飲む。それは、「冷蔵庫からジュースを取って飲む」という未来を、信じて疑わなかったからそうなった。


「いや体がそう動いたんだよ、自分の意思でそうしたんだよ。当たり前じゃん」って感じだけど、でも、ジュースを取る未来を信じて疑わなかったから、現実にそうなった。というふうに考えてみたら、どうだろう。




冷蔵庫のジュースを飲むことを信じて疑わないから、冷蔵庫の扉を開け、ジュースを注ぎ、飲むことができる。


来年もこの職場で働くことを信じて疑わないら、毎週電車に揺られて出勤し、日々仕事をこなし、来年も変わりなく働いている。


このふたつに本質的な違いって、なくない?



すぐに実行できる、すごく近い未来か、先の未来かの違いだけで、どちらも同じ、未来に向かって何かを信じて疑わない状態は一緒。



そう思うと、まず「信じる」が先に来ることがわかる。


「ジュースを飲むことを疑わない」から「ジュースが飲める」。


「来年もこの会社で働いていると疑わない」から、「来年もここで働く」。


「ジュースを飲む」なんて当たり前すぎて「それをできると信じている」なんていちいち考えないけれど、だけどよーく考えてみてほしい。ジュースを飲もうと思ったときの自分は、「そうするんだ」と頭で「確信」していて、「できるかなあ、できるといいな」なんて思ってない。





じゃあこれはどう?



「夢は叶うと信じて歌わない」から、「◯年後に叶う」


「お金持ちになると信じて疑わない」から、「お金持ちになる」






人は「夢」とか「目標」には「叶わない(かも)」がセットになっていて、夢や目標を目指すときに必ず「叶わなかったらどうしよう」「できなかったらどうしよう」と思う。不確定な未来に対して、大きな不安を抱く。



だけど、もしも本当に自分が信じていることで現実が構築されているのだとしたら、夢が叶うことを、ジュースを飲むのと同じように信じて疑わなければ、必ず夢は叶うってことだよね?




(ここでいう信じるっていうのは、「believe」ではなく「I'm sure」という感覚で、「そうなることを確信している」というニュアンス)




そう考えるとすごくおもしろい。だって「思うこと」「信じること」で現実が構築されていくんだから、それって人生は思い通りってことになるんだよ!



この考えはスピリチュアル的なやつではなくて、哲学的・宗教的な考え方だったりします。
人は、何でも、「思う」ことができる。これが自由の原点だ。人生はつまらないものだと思えば、人生はつまらないものになり、人生は素晴らしいものだと思えば、人生は素晴らしいものになる。何もかも、思った通りになる。人生は、自分が思った通りの人生になっている。

人は、思うことで、人生の運命を自由に創造することができるんだ。これは、なんて素晴らしく、かつ、なんて厳しいことだろう。



これを読んだときはなるほど…と思ったけど、でも「自分が思った通りの人生になる」ってよく考えたら当たり前のことだよなあって。だって人生を構築する方法って、それ以外にないもん。何をするのも、座るのも立つのも飲むのも食べるのも全部「そうしようと思った」からするわけで。


思ったこと、信じたことで人生がつくられていくんだから、なりたい未来や理想の自分を想像して、「なれるかなあ、なれるといいな」じゃなくて、当然のように「なれるに決まってる」と信じて疑わなければなれる。というごく自然な法則。



これ最近気づいて、気づいたときはすごく興奮した。と同時に、なんかすごく当たり前じゃね?とも思ったけど。




未来は見えないからなかなか信じられないかもしれないけれど、この法則は絶対だと信じて疑わなければ、おもしろい未来がやってきそうでわくわくしてます。
 
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年を重ねるごとに悩みの数は減っていっているように思うんだけど、でもやっぱり落ち込むときって必ずある。


 落ち込んだとき、わたしは何をするかというと、本を読みます。わたしが抱えている悩みは、必ず世界中の誰かが経験した悩みなので、それを解決できるような本が必ずあるからです。


頑張り屋さんに言いたいんですけど、ここで決して「がんばれば道は開ける!」みたいな本は読まないでください。悩んでいるときに、「頑張らないのは悪だ」みたいな本読んだらよけい落ち込みます。



落ち込んだときに読むといいなあと思うのは、哲学書とか、有名な海外の文庫みたいな、「物事の本質」が書かれた本。あとは意外にマンガもおすすめです。




去年わたしが落ち込んだときに助けてくれた本を紹介したいと思います。



  • 何がしたいのかわからない、何を目標に生きていけばいいかわからない、人生の意味って?とか考え出しちゃったとき

 

特にこの章。『人生の意味 Ⅰ」


なぜ人は、人生に意味や理由を求めるのだろうか。意味や理由を求めて悩むのは、何か意味や理由があるはずだと思っているからに他ならない。でも、なぜそう思っているのだろう。そう思っていること自体が、間違った思い込みなのではないだろうか。


現代科学は、ビッグバンによってこの物質宇宙は始まったと説明している。どのようにしてビッグバンが起こったかは説明できる。でも、なぜ起こったのか、起こる理由があったのかを理解することは、科学にはできない。いったいなぜ、宇宙は存在しているのだろう。


生きる苦しみや死ぬ怖れに出合って、人はそのことの意味や理由を求める。 そうしなければ、その苦しみを納得できないと思うからだ。でも、いいかい、納得できないということなら、宇宙が存在する、なぜ存在するのかわからない宇宙がなぜか存在するというこのこと以上に、納得できないことなんかあるだろうか。


これは、奇跡なんだ。
存在するということは、存在が存在するということは、これ自体が驚くべき奇跡なんだ。存在するということには意味も理由もない、だからこそそれは奇跡なんだ。


人生が存在するということ自体が奇跡なんだから、そこで味わう苦しみだって、奇跡だ。そんなふうな、あること自体の驚きの感情を失うのでなければ、苦しみの意味や理由を求めて悩むことは少なくなるだろうし、人生が虚しいだなんて思うこともなくなるだろう。


苦しみですら奇跡だ、そう納得できたとき、その苦しみが消えていることにも気がつくだろう。

これやばくないですか。


宇宙には存在する意味なんてない。その宇宙の、ちっこい地球という星の、ちっこい日本のちっこい自分に、存在している意味なんてない。ただただ奇跡。わたしという存在が奇跡。


存在しているだけで奇跡なんだから、「しなければならないこと」なんてまるでない。わたしたちは存在しているだけで奇跡なんだから、したいことをし、したくないことをせず、何もする気にならなければ何もせず、ただ生きていけばいい。


何者かになる必要なんてない。その存在自体が奇跡なんだから。

意味なんて探さなくていい。意味なんてないんだから。






この本は本当に素晴らしいです。14歳をとうに過ぎた27歳から読み始めたけど、年齡関係なく読める本です。すべての章から学びがある。一生大切にしたい本です。
 
 
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