わたしの大好きな本の中に、「神さまとのおしゃべり」という本がある。
著書のさとうみつろうさんが、神さまとおもしろおかしくおしゃべりをしながら、宇宙の仕組みや人生の動かし方について学んでいくというストーリー仕立ての自己啓発本(?)だ。
その冒頭に、こんなことが書かれている。
「この世の原理原則はたった1つ。その人の現実に、その人が望んでいないことはなに1つとして起こらない。この世は全て、その人の望み通り」
え、ちょっとまってよ!ちっとも思い通りになんて行っていない!と思う人もいるかもしれない。 でもそれは、願いが叶うころに本人が願ったことを忘れていたり、願いが複雑で、叶ったこと自体に気づけなかったり、まちがえた願い方をしたせいで、変な形で叶ってしまったりしているから、らしい。
わたしはこの本に書かれていることは真実だと思っていて、「自分が願ったこと(=思ったこと、考えたことはすべて願ったことと同じらしい)がすべて現実になっている」というのは本当に本当だと確信している。
先日美容院へ行った。わたしはあまりマメじゃないので頻繁には行かないのだけど、そろそろプリンがやばくなってきたので、仕事が休みの日にいつもの美容院を予約した。いつものことだけど、当日になって行くのが面倒くさくなった。
わたしの行きつけの美容院は名古屋にあり、わたしの家から電車に乗って行かなければならない。休みの日まで名古屋いくのめんどくさい。電車乗るのめんどくさい。乗り換えめんどくさい。歩くのめんどくさい。てかもう地元の美容院でよくない?なんで美容院へ行くのにわざわざ名古屋までいかなきゃいけないいんだよ…と自分が予約したにもかかわらず、もんもんと考えていた。
でもいつも担当してもらっている信頼のおける美容師さんだし、プリンもなんとかしたいので、めんどくさがりつつも重い腰を上げて美容院へと向かった。 そして詳しくは書かないけれど、「もう、この美容院に通うことはないだろうな…」と思う出来事に見舞われた。
それはあまりいい気分の出来事ではなかったので、美容院を出たとき、「せっかくの休日に、名古屋まで来て、なんでこんな思いをしなければならないんだ…」と落ち込んだ。
暗い気持ちで電車に揺られていると、あることに気付いた。「あれ?わたしもうこれで、わざわざ名古屋の美容院に行かなくてもいいんじゃないか?」って。
「もうこの美容院には二度と行かない」ってことは、「もう名古屋までわざわざいかなくていい」ってことで、それっていうのはつまり、「あーめんどくさい。名古屋までいちいち行きたくない」っていう自分の思い(願い)を思いっきり叶っているじゃん。
ただそれが、「いい気分じゃない」「あまりよろしくない出来事」を通じてだったので気づかなかったけれど、100%願いが叶っている。
それともうひとつ。わたしの家の最寄りは岐阜県にある多治見という駅で、名古屋へ出るまでに山を越えるため、少しの間、電車から美しい景色を眺めることができる。
けれど向かい合わせの座席に座ってしまうと、景色をよく見ることができない。行きの電車はガラガラだったので、わたしは座席に座り、窓の切れ間から見える景色を「もっとよく観たいなあ」とぼんやり思った。
かといって立ってドアの近くに立つまでのこともなかったので、そのまま座ったままでいた。
帰りの電車に乗り込むと、ちょうど満席だった。仕方なくドアの近くに立っていると、電車が岐阜県にさしかかったとき、美しい山々の景色をしっかりと観ることができた。
そうか。「座れない」という一見うれしくない出来事を通じて、「景色が観たい」という願いがかなったんだな、と思った。
このふたつの出来事はどちらも「あまりいいことでない出来事」を通じて願いを叶えてくれている。でもどちらも願いは叶っている。
「願いが叶う」と聞くと、なにかしらのハッピーな形で叶うことを想像するけれど、実は不幸な、うれしくない、嫌な体験を通じても、願いが叶うことはよくあるんだと思う。
人は、自分が願って叶ったことなのに、自分が願ったが叶っていない、自分の思い通りになっていないと感じたときに悩む。でも、この宇宙の法則はただひとつ。
「願ったことはすべて叶っている」
とはいえ、やっぱり叶うならハッピーな形で叶って欲しい。だからお願い上手になりたいなあと思う。宇宙へのお願い方法の、お願い上手。上手にお願いすれば、きっとハッピーな方法でたくさんのことを受け取れるのだと思う。まだまだ練習が必要だなあ。
わたしの人生観を変えたおすすめの本です!ぜひ。