カテゴリ: 読書感想文


わたしはここ数年、「ほんといい時代に生まれたなあ」と心から思う。ネットのおかげで世界中の情報が簡単に手に入り、LCCのおかげで海外へ行くことのハードルがどんどん下り、SNSのおかげで人と簡単につながれて、たくさんの人と出会うことができる。


たったの数千円でアジアの国々に行けちゃうとか、もうほんとに最高。「お金がない」「時間がない」から海外へ行けない、なんて言い訳ができない時代に20代を迎えられて、本当にラッキーだと思う。






堀江貴文さんの「君はどこにでも行ける」を読んだ。




この本は、日本の現状と、堀江さんが世界中を回って肌感覚で感じた世界の動きや変化、これから世界はどうなっていくのかについて書かれている。


タイトルの「君はどこにでも行ける」だけど、これは物理的な意味ではなくて、精神的な意味だと本を読んでわかった。精神的に「どこにでも行ける」って、どういうことだろう?





去年、タイ、マレーシア、オーストラリア、スペイン、イタリアと旅をしてみて思ったのだけど、世界は広くて、当たり前だけど様々な人がいる。「え?そんなのアリ!?」みたいな暮らし方をしている人たちがいっぱいいて、わたしの価値観をどんどんぶっ壊してくれた。


「そういうのもアリなんだ」「っていうかなんでもアリだな…」と思えて、文字通り世界が広がった。日本だけが居場所じゃないし、こんな風に暮らしている人が(しかも幸せそうに)いるなら、どこでだって暮らしていけそうだ、と思わせてくれるものが世界にはたくさんあった。


わたしはたぶん、そういう「自分の枠をとっぱらって自由な思考を手に入れたくて」世界を旅したんだと思う。








本の中で、スペインのバルセロナについて書かれている。スペインは財政危機で苦しんでいると言われているが、堀江さんが行ったときにはそんなことはあまり感じず、現地の人は楽しそうに過ごしていた、ということだった。


わたしも去年バルセロナへ行ったとき、同じことを感じた。地元の人たちが平日の昼間っからゆったりとビーチに寝転ぶ姿からは「財政危機」の焦りや不安は感じられなかった。みんな平和で幸せそうだった。




バルセロナで仲良くなった日本人の女の子、里沙ちゃんからおもしろい話を聞いた。それは、里沙ちゃんがよく行くバルに来る、お金のない老夫婦の話だ。彼らはお金がないにもかかわらず度々バルへ来て、他の客に食事をおごってもらうらしい。そして彼らは、とても幸せそうなのだそう。


その話を聞いて衝撃を受けた。日本だったらちょっと考えられないような話だ。まず「お金がないのにバルへ来ておごってもらうなんてけしからん!」と怒る人がたくさんいるだろう。でもバルセロナでは、それが普通のこと(かどうかはわからないけれどひとつの生き方)として通用している。


しかも彼らが幸せそうだということに驚いた。ほんと、「どう生きるか」よりも「どういう心で生きるか」なのだなあと考えさせられた。


他にも、たくましい物乞いの話しを聞いたり実際に見たりもした。里沙ちゃんも言っていたけれど、彼らの生きる力は本当にすごい。自分たちの現状を悲観するでも拗ねて内にこもるでもなく、平然と生きている。わたしたちも見習いたいなあと思った。




バルセロナに滞在中は、「爆竹祭り」にも遭遇した。正式にはサン・ジョアンという夏至を祝う古くからのお祭りなのだけど、爆竹を夜中まで打ち鳴らして祝うことから爆竹祭りと呼ばれているのだそう。


祭りは大盛り上がりで、いたるところで夜中じゅう爆竹が打ち鳴らされていた。その他にも、夜中にオペラを大合唱する若者たちに遭遇したりして、迷惑ではあったけれどなんだか笑ってしまった。彼らは本当にタフでクレイジーで陽気で、そういう彼らの気質がわたしは好きだなあと思った。




話しは変わるけれど、本の中ですごく好きな部分がある。



僕がずっと前から言い続けている、「好きなことを好きなだけやる」生き方が、より明確に価値を持つことになるはずだ。国境や言語など、かつては乗り越えるのが困難だった壁が取り払われていくことで、あらゆるチャレンジが容易になっていく。 「イヤなことを我慢して努力している」人が評価される時代は終わりだ。 「好きなことをしている人がビジネスでも人生でも、いちばん強い」時代へ、日本も移行するだろう。

未来は、いいことずくめだ。

世界も日本も勝手に変わっていく。君も好きにしたらいいのだ。僕たちを不自由にする「国境」は頭のなかにある。



わたしたちの身動きをとれなくしているのは、すべては自分の「思い込み」。わたしたちはもっともっと自由になっていい。


「◯◯だからできない」「◯◯がないからできない」というのはすべて幻想で、飛び込んでみたら案外できちゃった、みたいなことってすごく多い。というかそういうことばかりだと思う。テクノロジーの面でもそうだし、精神的な意味でもそう。


「◯◯だからできない」というのは、やらない言い訳でしかなくて、もう、物理的にも「できないことが少ない」時代になっちゃっているから、もうやりたいことがあったら、やるしかないんだと思う。



わたしは世界をまわったとき、十分な資金はなかったけれど、偶然出会った人に泊めてもらったり食事をご馳走になったりして、行きたいところへはすべて行くことができた。「お金がないとやりたいことができない。行きたいところに行けない」というのも幻想なんだとわかった。



今月の26日からニューヨーク、ロサンゼルスへ行く。やりたいことをやるために。片道切符しか買っていないし、あまりお金も貯めていないのだけど、なんとかなるだろうと気楽に考えている。きっとなんとかなるんだと思う。あまり計画が立てられない性格だから、行き当たりばったりでなんとかしたい。




「これからは好きなことをとことん突き進む人が成功する」と言われたら、どう思うだろう?わたしはすごくわくわくする。だって、そんなのって最高じゃん!


すごいスキルがあるわけでもないし、ビジネスの経験もない。英語だっていまいちだけど、世界をまわって世界のことを知るのが大大大好きなので、これからもそうやって好きなことを追いかけて生きていきたい。そしてたくさんのことを発信したい。


好奇心とわくわくが、わたしのすべての原動力だから。
このエントリーをはてなブックマークに追加



乙一さんの、「GOTH」を読んだ。おもしろかった。すごく。


でもあまりにも猟奇的で、読むのが苦しい場面もあった。人が無残に殺されるところとか、想像するのと身の毛がよだつというか…。こんな物語を書けるなんて、乙一さんはなんて猟奇的なんだ、、と思ったけど、おもしろいと思うわたしにも、猟奇的な部分があるんだろうなあ。


思えば中学生の頃、学校の図書館にあった第二次世界大戦の写真集を見るのが好きだった。特に、バラバラになった死体や、血まみれの死体の山の写真を見るのが好きだった。図書館へ行くたびに手にとって眺めていたことを思い出した。




「GOTH」では、異常で猟奇的な殺人者がたくさん登場する。人間の体を切り刻んだり、人を気絶させて、手だけを切り取ってコレクションしたり、、、そういう人たちの気持ちはわからないけれど、でも「GOTH」を読んで、わたしの中の猟奇的な部分が反応したのは確か。


きっと人って、どこか残酷な部分を持っていて、ほどんどの人はそれを表に出さないだけで、でもきっとあるんだと思う。わたしはある。でも別にあってもいいよね。






「GITH」は夜の章と僕の章、2冊あって、話はすべてつながっているんだけど、それぞれの章で、いくつかの単発の事件が起こる。全部猟奇的。ミステリーでもあるから、推理しながら読むのも楽しい。いくつかは先が読めたのもあったし、「え!まじか!」ってびっくりする展開になったものもあった。


夜の章、僕の章合わせた全体の展開は、まんまと(?)騙されたというか、「まじか!そうなるのか!」ってびっくりして、ラストは何度か読み返してしまった。すごいなあ乙一さん。



ちょっと刺激のある小説を求めている人には超おすすめ!でもエグい殺人ものが苦手な人にはおすすめしません。気分が悪くなるかも。乙一さんの作品、他にも読みたいなあ。

 
このエントリーをはてなブックマークに追加




年を重ねるごとに悩みの数は減っていっているように思うんだけど、でもやっぱり落ち込むときって必ずある。


 落ち込んだとき、わたしは何をするかというと、本を読みます。わたしが抱えている悩みは、必ず世界中の誰かが経験した悩みなので、それを解決できるような本が必ずあるからです。


頑張り屋さんに言いたいんですけど、ここで決して「がんばれば道は開ける!」みたいな本は読まないでください。悩んでいるときに、「頑張らないのは悪だ」みたいな本読んだらよけい落ち込みます。



落ち込んだときに読むといいなあと思うのは、哲学書とか、有名な海外の文庫みたいな、「物事の本質」が書かれた本。あとは意外にマンガもおすすめです。




去年わたしが落ち込んだときに助けてくれた本を紹介したいと思います。



  • 何がしたいのかわからない、何を目標に生きていけばいいかわからない、人生の意味って?とか考え出しちゃったとき

 

特にこの章。『人生の意味 Ⅰ」


なぜ人は、人生に意味や理由を求めるのだろうか。意味や理由を求めて悩むのは、何か意味や理由があるはずだと思っているからに他ならない。でも、なぜそう思っているのだろう。そう思っていること自体が、間違った思い込みなのではないだろうか。


現代科学は、ビッグバンによってこの物質宇宙は始まったと説明している。どのようにしてビッグバンが起こったかは説明できる。でも、なぜ起こったのか、起こる理由があったのかを理解することは、科学にはできない。いったいなぜ、宇宙は存在しているのだろう。


生きる苦しみや死ぬ怖れに出合って、人はそのことの意味や理由を求める。 そうしなければ、その苦しみを納得できないと思うからだ。でも、いいかい、納得できないということなら、宇宙が存在する、なぜ存在するのかわからない宇宙がなぜか存在するというこのこと以上に、納得できないことなんかあるだろうか。


これは、奇跡なんだ。
存在するということは、存在が存在するということは、これ自体が驚くべき奇跡なんだ。存在するということには意味も理由もない、だからこそそれは奇跡なんだ。


人生が存在するということ自体が奇跡なんだから、そこで味わう苦しみだって、奇跡だ。そんなふうな、あること自体の驚きの感情を失うのでなければ、苦しみの意味や理由を求めて悩むことは少なくなるだろうし、人生が虚しいだなんて思うこともなくなるだろう。


苦しみですら奇跡だ、そう納得できたとき、その苦しみが消えていることにも気がつくだろう。

これやばくないですか。


宇宙には存在する意味なんてない。その宇宙の、ちっこい地球という星の、ちっこい日本のちっこい自分に、存在している意味なんてない。ただただ奇跡。わたしという存在が奇跡。


存在しているだけで奇跡なんだから、「しなければならないこと」なんてまるでない。わたしたちは存在しているだけで奇跡なんだから、したいことをし、したくないことをせず、何もする気にならなければ何もせず、ただ生きていけばいい。


何者かになる必要なんてない。その存在自体が奇跡なんだから。

意味なんて探さなくていい。意味なんてないんだから。






この本は本当に素晴らしいです。14歳をとうに過ぎた27歳から読み始めたけど、年齡関係なく読める本です。すべての章から学びがある。一生大切にしたい本です。
 
 
このエントリーをはてなブックマークに追加



あけましておめでとうございます!2016年。


新年といえば、新しい目標。


わたしはここ数年明確な目標は立てないようにしていて、理由は、節目に新しく立てる目標を達成できたためしがないから。

 
いつも新年の目標には、「よし!がんばろう!」がセットになっていて、今思うと、がんばらないと(気合を入れないと)達成できない目標を掲げていたんだと思う。


だけど気合でなんとかなると思っていたので、やり始めたはいいもののいつも継続せずに終わってしまって、本当にわたしって何も続かないなあ…と自分を責めたり。



本当にやりたいことや達成したいことがあると、人は「がんばろう!」と気合を入れなくてもやってしまうものだと気付いてからは、節目に立てる気合の入った目標の意味のなさを感じ、目標を立てることもなくなりました。




そんな感じで今年も何にも目標を立てていないんですが、最近読んだ本に目標についてのおもしろいことが書いてありました。


 cakesでちょくちょく読んでいたんだけど、改めて買って読んでみたらすごくおもしろくて。


「嫌われる勇気」を思い出させるような、「ごく普通の青年」と成功を収めた「紳士」との対話形式で話が進んでいって、青年と共に自分も成長していくみたいな感じで、おもしろくてサクサク読めました。


この本のいいところは、ありがちな成功法則を伝授するのではなく、これからの世界はどうなっていくのか、わたしたちの社会はどう変化するのか。そしてその変化に、わたしたちはどう対応していけばいいのか。それらがわかりやすく書かれいるところ。


わたしは世界を飛び回って生きていきたいので、「今後世界がどうなっていくのか」は、ものすごく興味のある分野だけど、難しい専門書とかって読む気にならない。専門書じゃなくても、小難しい本って眠くなっちゃうし…。


だけどこの本はわたしでも理解できたくらい、難しいことがわかりやすくかみくだいて書かれています。




たくさん紹介したい部分はあるけれど、今日は「目標」について共感した部分をちょっと紹介。
あらゆる人間のすべての意志は薄弱だ。意思やモチベーションは誰にとっても、成功とはまったく関係がない。ゼロだ。つまり、”やる気”なんてなんの意味もなさない

成功する人はまず始めたりしない。モチベーションなんて信じない。ほとんどの人は思い立ったら吉日とばかりに、まず始めようとする。それが間違っている。そうではなくて、継続する”仕組み”を先に考えるんだ。


その"仕組み"とは、計画(Plan)、実行(Do)、そして結果をフィードバックしていく(See)、この3つを機能させること。


わたしは計画が苦手なので、「げー計画かあ。Doなら得意なんだけどなあ…」と思ったけど、
なんでもプロジェクトとして考えると面白くなるぞ。何より主体的に取り組むようになる。人生に小さなプロジェクトを、ひっそりこっそりとたくさん作ってごらんなさい。なんでもいい。モテるようになること、弁護士や医者になること。

多くの人が無理だと思う。だが、成功者たちは皆、『計画・実行・修正』というとてもシンプルな学びのプロセスを継続し続けただけだ。少しずつ少しずつだ。

っていう部分を読んで、プロジェクト、楽しそうじゃん!ってなりました。


本当に単純だから、速攻でプロジェクトをつくったんですが、それが「英語を話せるようになるプロジェクト」と、「ブログを毎日書くプロジェクト」


何事もそうですが、楽しくないことは絶対に続かないので、英語学習は大好きな映画、『「プラダを着た悪魔」のセリフを完コピして英語が話せるようになるのか?』っていう実験的なプロジェクトに。


ひたすら訳す⇒ひたすら覚える⇒実践
っていう感じ。あんまり計画になってないけれど…。まあいいや。


ブログ更新は、『毎朝4時半に起きて、仕事前に書く時間をつくる。そのために、夜は早く寝る』というブログを書くための仕組みをつくりました。これでいいのかはよくわからないけれど、今のところできそうな気がしています。





まとめると、

計画(Plan)、実行(Do)、そして結果をフィードバックしていく(See)、この3つを機能させる仕組みをつくること。

そして達成したいことを「プロジェクト」にして楽しみながらやること。

これが目標を達成するために必要なこと。



新年の目標立ての参考に、少しでもなれば。


わたしの英語プロジェクトはコチラ⇒英語を話せるようになろうプロジェクト




 ▲この本はほんっとおすすめなので、また他にも書きます。嫌われる勇気ほど話題になってないのが不思議…。



また明日ー。
このエントリーをはてなブックマークに追加



このあいだ、ふと手に取った本にものすごく感動して、今まで読んだ小説の中でダントツに好きな本になった。それが三浦しをんさんの「風が強く吹いている」だった。


アオタケというぼろアパートに住む10人が、箱根駅伝を目指す青春駅伝ストーリーなのだけど、この本を読んで、今年の箱根駅伝は必ず見ようと思った。読んでいて涙が止まらないほど感動した。



主人公の走(かける)は、高校時代トップランナーだったが、監督とそりが合わず、問題を起こして退部してしまう。


ただ速く走ることだけにを追求し、周りが見えなかった走だが、ほとんどが陸上未経験ながら練習に取り組み、約10ヶ月で箱根を目指せる選手へと成長するアオタケの住人や、リーダーの清瀬と共に、箱根を目指す過程で選手としても人間としても成長していく。「走る」とはなにか。「強い」とはなにか。壮大な問いかけに彼なりの答えを見いだすストーリー。 








わたしは今まで一度も真剣に箱根駅伝を観たことがなかった。正直、おもしろいと思わなかった。小学生の頃は祖父がテレビで駅伝を観ているのを、もっとおもしろいテレビ見ようよと言って番組を変えさせていた。


けれどこれから1月2日と3日は、きっとテレビの前に釘付けになる。だって、「風が強く吹いている」を読んで、駅伝を走る選手の想いを知ってしまった。駅伝の裏にあるドラマを知ってしまった。駅伝のおもしろさを知ってしまった。


「知る」という行為にはいろんな側面があるけれど、自分の中に感動できることや楽しめることを増やしていくという側面を、この本ほど感じたことはない。もしこの本をよまなければ、駅伝とは何かを知ることもなく、「駅伝で感動する(まだ見てないけどきっとするはず)」ことはわたしの人生に起こりえなかった。「知る」って、人生の楽しみを増やすことだ。そうやって楽しみを少しずつ増やしていけたら、すごく豊かな人生になる。


小説は、ただの小説じゃない。ただおもしろいだけじゃない。人生を豊かにしてくれる。知らなかったことを教えてくれる。新しい世界を見せてくれる。


わたしは駅伝を目指したことがないけれど、この本を読んでいる間は、駅伝を目指す選手だった。小説は、自分以外の人生を経験することができる。だからわたしは小説が好き。





心に残った部分を少し紹介します。


強さ。ふと走は思う。清瀬が言った強さとは、これなのかもしれない。個人で出走するレースだとしても、駅伝だとしても、走りにおける強さの本質は変わらない。
苦しくても前に進む力。自分との戦いに挑み続ける勇気。目に見える記録ではなく、自分の限界をさらに超えていくための粘り。


走っても走らなくても、苦しみはある。同じくらいの喜びも。だれもが、それぞれの悩みに直面し、なしとげられないとわかっていてももがいている。
陸上と少し距離を置くことで、清瀬は当たり前のことに気づいた。どこへ行っても同じならば、踏みとどまって、自分の心が希求することをやり通すしかない。


走は確信に近く予感した。俺はたぶん、走ることを死ぬまで求めつづけるのだろう。
たとえばいつか、肉体は走れなくなったとしても、魂は最後の一呼吸まで、走りをやめはしない。走りこそが走に、すべてをもたらすからだ。この地上に存在する大切なもの 喜びも苦しみも楽しさも嫉妬も尊敬も怒りも、そして希望も。すべてを、走は走りを通じて手に入れる。
 



ストーリーはもちろんだけど、走る姿を表現する言葉がすごく素敵で、それだけで感動します。


夜空を切り裂く、流星のようだ。きみの走りは、冷たい銀河の流れだ。

ああ、輝いている。きみの走った軌跡が、白く発光するさまが見える。



 
「風が強く吹いている」



ストーリーがおもしろいのはもちろん、「小説とは一体なんなのか」という壮大なテーマを考えさせられるほど、とてつもない影響を与えてくれた本。本当に読んでよかった。


箱根駅伝が好きな人も、わたしみたいに、見たことがないという人も、きっと1年に1度、箱根駅伝を見るのが楽しみになると思う。おすすめです。


 

このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ