カテゴリ: 読書感想文



最近読んで興奮した本。


 
ダイエットにおいて、カロリーがすべてではないことは知っていたけど、「脂っこい」と避けがちなチーズや肉を大量摂取して痩せるなんて…衝撃的。


お肉は大好きだけど、脂身が気になってたくさん食べないようにしていたし、チーズもなんとなく太る気がして夜食べるのは避けていたし、卵なんて「1日1個以上食べたらダメ」なんていうよくわからないルールを信じていたよ…。


あいまいな知識で、「脂っこいものは太りそう」と勝手に思っていただけだったんだなあ。この本は、わたしのダイエットの常識を根底から覆えしてくれました。









この本では、肉・卵・チーズをたっぷり食べる「MEC食」について書かれていて、そのMEC食っていうのが本当にすごい。





●MEC食とは何か?


糖質を控えるという点では、糖質制限ダイエットと同じ。だけどMEC食は「制限」するのではなく、食事の最初にMECをたっぷり食べることで十分な満足感を得て、自然と「糖質を食べなくてすむ」ようになるというもの。


わたしの経験では、糖質を制限するとものすごくストレスがたまる。だって炭水化物って本当においしいんだもん!それを抜くのって相当な忍耐が必要。


大好きなものをがまんするだけでなく、野菜や食物繊維ばかりのひもじい食事だけのダイエットだとしたら、それは長く続かない。


だけどこのMEC食は、肉もチーズも卵もたっぷり食べられる。それらを思う存分食べられるなら、炭水化物が食べられないのって結構平気かも。確かに白米やパスタやピザは食べたいけれど、その代わりにたっぷりお肉もチーズも卵も食べていいんだとしたら、それならがまんできそう。





●なぜ「糖質(炭水化物)を食べなくてすむ」ようになるのか


全然知らなかったのだけど、5大栄養素(炭水化物・たんぱく質・脂質・ビタミン・ミネラル)のうち、炭水化物は必須栄養素ではないらしい。炭水化物は摂らなくてもいい栄養素で、代わりにたくさん必要なのがたんぱく質。


だから肉・卵、チーズをたくさん摂取すれば、炭水化物の分の栄養素もカバーできる。ちゃんと必要な栄養素が摂取できれば体が満たされて、自然と糖質(炭水化物)を食べなくてすむ、ということらしい。


しかも、ある一定量の肉・卵・チーズを食べれば、脂質・ビタミン・ミネラルも摂れるんだとか。



●MEC食のやり方


1. 肉200g・卵3個・チーズ120gを毎日食べる


2. ひと口食べたら箸を置き、30回よく噛んで食べる


これだけ。


肉やチーズははどんな種類でもOK。食事をする際はまずこの3つからで、食材選びはとにかく植物性より動物性を選ぶことが大事。だから肉がたくさん食べられない場合は、魚とかでもいいんだと思う。(たぶん)





実際にやってみたのだけど、それはもう脂身だらけの角煮を食べまくったり、寝る直前にチーズを食べたりしていたのに、1日で1キロ痩せた!


驚いたのは、炭水化物をいとも簡単に抜けたこと。今まで、白米がなくておかずだけだとなんとなく満足できなくて、 ついつい白米を食べていた。


だけど大好きな肉やチーズや卵をがっつり食べると、白米を抜くのが全然苦痛じゃない。



今まで、白米を食べる代わりに、栄養のありそうな野菜や豆腐などをおかずにしていたんだけど、全然痩せなかった。だけど白米(炭水化物)をやめて、その代わりにがっつりおかずを食べるようにしただけで、食べる量に関係なく1日で1キロ痩せるなんて。炭水化物って本当にデブの元なんだって、明確にわかった。



今までの苦労はなんだったんだろう?体に良さそうなものを選んで食べて、だけどそれだけじゃ満足できなくて炭水化物も食べちゃって、2日に1回はランニングして、食べる量も少なくして。それで3ヶ月で2キロ痩せたけど、たったの2キロ。


なのにただ炭水化物をやめて、肉・卵・チーズをがっつり食べたら1日で1キロ?この違い、やばい。



まだまだMEC食を始めたばかりで、この先どう変化するのかがすごく楽しみ!なにより、がまんが一切ないから続けられそうな気がする。




読んでよかった!すごくすごくすごくおすすめの本です。


 

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西加奈子さんの『漁港の肉子ちゃん』を読んだ。あたたかい話だった。

何人もの糞男に騙され続けた果てに、東北の漁港で暮らすことになった肉子ちゃんと、その娘キクりんの物語。

まるまる太っている肉子ちゃんは、誰のこともすぐに信じてしまうお人よし。これでもかというほど明るくて、ゴウカイ。誰とでもすぐに仲良くなる。キクりんがだいすき。
キクりんはクールで知的。思慮深くて慎重。自分の立ち位置を知っていて、うまく立ち振舞うこともできるけど、ほんとうはすごく不器用で、すごく優しい。肉子ちゃんのことは大好きだけど、それを口にしたり、態度で示すのが恥ずかしい。

どんな噂もすぐに知れ渡ってしまうような小さな漁港で、親子が町の人たちと関わりながら暮らしている様子が描かれている、心温まる作品。クールなキクりんが、肉子ちゃんに心の中で入れるツッコミが笑える。





呆れるほど明るい肉子ちゃんと、繊細なキクりん。対照的なふたりが、親子として生活している様子が、リアルな絵で描くことができる。
わたしはどちらかというと、キクりんに似て、いい意味でも悪い意味でも物事を深く考える性格なので、肉子ちゃんのまっすぐすぎる性格をうらやましく思う。肉子ちゃんくらい素直でいられたら、幸せなんだろうなあ。きっとどこへ行っても、何をしていても幸せを感じられる。

肉子ちゃんのように、とまではいかなくても、わたしたちも日々の「普通の生活」の中に、いくらでも幸せを見出せるはず。それがとても「幸せ」とは言い難い状況だったとしても。



キクりんの友達のマリアちゃんが、クラスで孤立してしまう場面がある。マリアちゃんがクラスのリーダー的存在の女の子を孤立させようと画策し、キクりんを囲い込もうとしたが失敗して、結果クラスの全員からハブられてしまう。一時ではあるが、キクりんもマリアちゃんから無視されたり、蔑んだ目で見られたりなどの攻撃を受けた。だからマリアちゃんが孤立しても、助け舟を出そうとしなかった。
キクりんは、そのときの、自分の中にあるどろどろとした感情に気づかないふりをしていたけれど、どろどろとしたものはしっかりとキクりんの中にあった。ちょっと変わった男の子、二宮と話しているときに自分の本心に気づく。

私って、なんて狡い子なんだろう。なんて狡くて、嫌な子なんだろう。
ひとりぼっちになっているマリアちゃんを見て、ざまあ見ろ、って思ってた。マリアちゃんがひとりぼっちになる前から、マリアちゃんを疎ましく思ってた。皆に、ちやほやされて、私は、嬉しかった。マリアちゃんより、キクりんの方が好きって言われて、それで安心してた。マリアちゃんの大きな家が、屈託のない自信が、綺麗な浴衣が、私は羨ましかったのだ。
 
自分の中の醜い部分は誰にでもあって、だけどなんでかみんな、自分の中から排除しようとする。だけど、ちゃんと気づくだけでいいんだと思う。ちゃんと本心に気づくこと。あ、わたし、嫌な奴だ(笑)って思うだけでいい。

わたしもいつも「わたしって超嫌な奴だな(笑)」って思っている。だけど「まあ、それがわたしだし、仕方ないか」って思うと、自分を嫌いにならなくてすむ。



終盤で、キクりんが入院するシーンがある。お見舞いに駆けつけた、肉子ちゃんが働く焼きにく屋の主人、サッサンの言葉がすごいしみる。

生きてる限りはな、迷惑かけるんがん、びびってちゃだめら。 生きてる限り、恥かくんら、怖がっちゃなんねえ。子供らしくせぇ、とは言わね。子供らしさなんて、大人がこしらえた幻想らすけな。みんな、それぞれでいればいいんらて。ただな、それと同じように、ちゃんとした大人なんてのも、いねんら。

おめさんが、いっくら頑張っていい大人になろうとしても、辛え思いや恥しい思いは、絶対に、絶対に、することになる。それは避けらんねぇて。だすけの。そのときのために、備えておくんだ。子供のうちに、いーっぺ恥かいて、迷惑かけて、怒られたり、いちいち傷ついたりして、そんでまた、生きてくんらて。
 
最近よく思うことがあって、それは「生きるということは、恥を積み重ねていくこと」ということ。こうやって文章を書いていると、過去に書いた(ときには昨日書いた)文章を「なんだこれっ!こんな恥ずかしいこと書いていたのかわたし!」と思うことがしょっちゅうある。というか、生み出した文章のほぼすべてにそう思う。「よくもまあ、こんな恥ずかしいものを、世の中に発信したもんだよ…」とその時の怖いもの知らずな自分をほめてあげたくなる。


過去の稚拙で恥ずかしい創造物を見て、顔から火が出るくらい恥ずかしい思いをするのは、クリエイターにかかわらず誰にでもある経験だと思うけれど、それでも自分を表現することは、やめられない。わたしの場合は、こうやって誰の役に立っているんだかわからない文章を、発信せずにはいられない。



恥ずかしいと思うことは、ちゃんと「今の自分」を出し続けた証拠なのだと思う。だから、生きるということは、いや、自分らしく生きるということは、恥をかくことから切り離せない。わたしは毎日恥を積み重ねながら、今を生きている。



生き恥を晒して生きることの素晴らしさを、肉子ちゃんやキクりん、漁港の人たちが教えてくれてた。

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映画『そこにみにて光り輝く」がものすごくよかった。


原作の小説はこれ。

そこのみにて光輝く (河出文庫)
佐藤 泰志
河出書房新社
2011-04-05


そこのみにて光輝く (河出文庫)
佐藤泰志
河出書房新社
2014-01-31


 
映画は、綾野剛と池脇千鶴主演。ふたりの演技がものすごくリアルで、引き込まれた。菅田将暉の演技もよかった。

わたしが好きな映画には2種類あって、ひとつはハリーポッターやプラダを着た悪魔のような「夢を見せてくれるもの」と、悪人や告白など、「リアルな人間が描かれているもの」。この映画は間違いなく後者で、人間の汚なさ、醜くさ、未熟さ、美しさ……自分の感情から逃げて、ときに向き合い、立ち向かい、すべてを諦めて、絶望しても、前を向こうとする強さ。

壊れてしまうかもしれないほどの苦悩、想いを素直に伝えられない不器用さ、本能のままに行動する荒々しさ、自分と相手の弱さをを認める瞬間、認められる瞬間。大切なものを守るために、他者を傷つけること、家族をよろこばせたいという想い、自分の人生に責任を持つこと。



人間のリアルな想いが表現されていた。久しぶりに心が震える映画。
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宇宙兄弟(マンガ)で心に残ったセリフをまとめてみた。


 

夢を諦めたムッタが「この世の中に絶対なんてないと思うよ」に対して日々人が言ったセリフ

そうだな。世の中には絶対はないかもな。でも大丈夫。俺ん中にあるから。

 

ビンスに、「君の敵は誰ですか?」と聞かれたときのムッタのセリフ

俺の敵は、だいたい俺です。自分の宇宙へ行きたいっていう夢を、さんざん邪魔して足を引っ張り続けたのは、結局、俺でした。他に敵はいません。

 

ピコとビンスに対してムッタが言ったセリフ

本気の失敗には価値がある。

 

ムッタが前の職場で後輩達に言ったセリフ

今みんなが笑ったことがもし実現できたらさ、誰も文句言わなくなるよ。新しいものつくろうって話なんだ。最初はなんだって「仮説」だろ?いつか誰かが空飛ぶ車を実現させて当たり前にすると思うんだけど、それが俺たちになる可能性もあるんだよ。 

 

子どもたちへブライアン・ジェイからのメッセージ

人の人生にはいくつもの”夢のドア”がある。人は…例えば「宇宙へ行く」みたいな大きな夢を持った時、目の前に現れたバカでかいドアに萎縮して、向こう側へ行くことを諦めちまう。「開けられるわけがない」ってな。だがビビることはないんだよ。本当ははじめから、そんな”バカでかいドア”なんてものはない。小さなドアがいっぱいあるだけだ。「成長のドア」「発見のドア」「勝利のドア」「賞賛のドア」他にもいろいろ見つかるだろう。そしてその小さなドアを開けるたび、君らの夢がひとつずつ叶っていくのがわかるはずだ。君らにはそのためにやるべきことがある。手探りでも何でもいい。意地でも次のドアに手を伸ばし続けることだ。そんなことしてる間に、気付いたら宇宙遊泳とかしてるかもよ?

 

宇宙兄弟は、夢を追いかけているマンガだけあって、見ているこちらが熱い気持ちになれる。勇気、やる気、パワーをくれて、くすっと笑わせてくれる。心がじわーっと熱くなる物語。

むっちゃん、いつもありがとう!
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続・宇宙兄弟の話。

 

あるアメリカの片田舎に、宇宙に憧れを持つ3人の少年がいた。

彼らには夢があった。ビンズは宇宙飛行士になって宇宙へ行くこと。ピコはビンズが宇宙へいくためのロケットをつくること。リックが管制塔からビンズに指示を送ること。それぞれがそれぞれの役割で宇宙を目指していた。

 

3人は小さなロケットをつくり、打ち上げる実験を楽しんでいた。来る日も来る日も宇宙のことを語り、夢を語り合った。

よくアメリカ人がやるようなぶしをぶつけ合う誓いのサインを毎日欠かさなかった。誓いのサインは、3人の目指す先がいつも宇宙を向いていることを意味した。

 

中学3年の彼らは、将来を考える時期に来ていた。

彼らの住む町には近くに鉱山があり、町のほとんどの男は高山で肉体労働をしていた。ビンズとピコの父親もそうだった。父親は息子に鉱山で働くことを望んだ。

学校の先生も、「宇宙なんて夢を見ていないで、志望先を工業専門学校へ変えろ」と言った。

 

ビンズとピコは悩んだ末に自らの進む先を変えた。心が望む「宇宙」を捨てて、将来安泰の「鉱山技師」になることを選択した。堅実な仕事をして、安定した給料をもらい、家族を養う。そんな生活も、"悪くない”ということにした。

 

そこへリックが乗り込できて、なんお冗談だ?と二人を問い詰めた。

 

「宇宙への夢は、最初から俺たちにはでかすぎた。自分のことは自分でわかっているつもりだ。テンションの上がる仕事じゃねえが、鉱山技師も、悪くない」とピコが言った。

 

それを聞いたリックは怒って出て行った。

 

 

その数日後に、リックは交通事故で死んだ。

 

 

後悔に後悔を重ね、ピコはビンズに言った言葉が印象的だった。

「僕はもう決めたんだ。迷っている暇なんてない。人生は短いんだ」

「テンションの上がらないことに、パワー使っている場合じゃねぇ!」

 

 

そうして彼らは、再び宇宙を目指した。

 

 



 

 

うちの父親がよくこう言う。

「何百年も人生を生きられるなら、やりたくないことをやってみるのもいいだろう。だけどたかだか80年くらいの人生なら、やりたいことやらずにどうする?誰が自分の人生に責任を持ってくれるっていうんだ?自分の人生の責任は自分で持つしかないだろうが」

 

そうだな、と思う。

 

わたしたちは、テンションの上がらないことに時間を使っている暇はない。

テンションのあがらない、けれど安定した人生の先にあるものはなんだろう?わたしは、「なんか違う」という違和感だと思う。

 

人生は短い。

テンションの上がらないことに、パワーを使っている場合じゃない。

 

 
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