カテゴリ:兄が殺されてから > 裁判記

2012年9月16日、兄が傷害致死で殺された。享年31歳だった。

当時20歳と21歳の犯人の男ふたりは、今刑務所にいる。


あの出来事から今に至るまでのわたしの心境や、わたしたち家族に起こったことを書いていこうと思う。






2013/7



いよいよ判決の日。

それは現実と向き合わなければならないときがきたということを意味している。

 

検察が懲役7年を求刑した。一方、安田の弁護人は懲役5年を望み、大谷の弁護人にいたっては、兄の死と大谷の暴行には直接的な因果関係がないという主張を繰り返した。

 

確かに兄が意識を失って倒れたのは、安田の暴行の直後だ。だからそれ以前の大谷の暴行には兄の死は関係していないという主張はわからないでもない。けれど医師の証言によって、兄の死因は、車の側面に身体を激しく叩きつけられたり、頬を殴られたことで、首と頭が前後左右に揺さぶられ、それに伴って脳の血管が切れたことだと証明されている。つまり大谷、安田、どちらの暴行が直接の原因かはわからないし、両方が原因である可能性も十分にある。

 

わたしたちの弁護人は、無期懲役を求めた。

被害者の弁護人は、被害者やその家族に代わり、加害者に対して賠償を請求したり裁判で発言したりする。被害者の家族は、法廷にいることはできても限られた場面でしか発言することができないからだ。

 

被害者弁護人は、20代後半の女性だった。

やわらかい雰囲気の女性だったが、法廷で発言するときはしっかりとした口調で、わたしたちの声を代弁してくれた。

安田は、倒れて動かなくなった兄の体を足で踏みつけて意識があるかないかを確かめたという。まるでモノを扱うように。殴られたという事実よりも、そのように、人間のように扱われなかったという事実の方が、家族にとって辛い。

 

「そういった人を人とも思わない行動を、あなたはどう思っているのですか?それは一人の人間に対してする行為ですか?」と弁護人が問いただした。

 

安田は、うつむきながら「そうは思いません」と言った。

 

 



 

 

最後に、被告人の意見陳述があった。
裁判官から、「これで審理を終えますが、最後に何か言いたいことはありますか」と聞かれ、それぞれが証言台に立った。

 

安田と大谷が何と言ったか全く覚えていない。たぶん、反省していますという趣旨のことを話したのだと思う。

わたしたち家族にとって、犯人が反省しているのかしていないのかということは、ある意味どうでもいい。知りたいのは、彼らが何年刑務所に入るのか。社会復帰できるのはいつなのか。兄を殺した罪の重さは、何年服役したら償われたことになるのか、ということだ。

 

 

判決は、懲役5年6ヶ月。

 

 

初犯で、殺意はなく、自首し、反省している。まだ若く、未来もある。釈放されてからの働き口もある。実際はどうかわからないが、表向きはそういうことになっている。そういった場合、5年くらいが妥当なのだという。

 

たったの5年半。

兄を殺した犯人が社会復帰できるまでにはたったの5年と半年しかない。あまりにも短すぎる。

 

 

けれど、と思い直す。例えばこれが7年、10年、15年だったとして、わたしは納得するのだろうか?

そうは思わない。もしかしたら、もっと早く社会に出て働いて賠償金を払ってくれ、と思うかもしれない。きっとどんな判決だったとしても、100%納得することはあり得ないのだと思う。

わたしは宙ぶらりんな気持ちを、犯人の不幸を願うことで折り合いをつけた。5年半で社会復帰ができても、人を殺した人間が、幸せな生活を送れるはずがない。それが世の中の仕組みだ。一生後ろ指を刺され、罪悪感とともに生きていけばいい。たとえ普通の生活を送ることが許されても、幸せに生きることは決して許されない存在なんだ。

 

そう思うことで、わたしは気持ちを落ち着かせることができた。

わたしは、犯人の不幸を願った。




続く。
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2012年9月16日、兄が傷害致死で殺された。享年31歳だった。

当時20歳と21歳の犯人の男ふたりは、今刑務所にいる。


あの出来事から今に至るまでのわたしの心境や、わたしたち家族に起こったことを書いていこうと思う。






2013/7



確か7回目か8回目かの裁判だったと思う。兄の息子、わたしの甥にあたる蓮が裁判を傍聴しに来た。その日の裁判では、検察にお願いされて蓮が書いた亡き父に宛てた手紙が読まれる予定だったからだ。

 

蓮が呼ばれたのは裁判員へのアピールのためだ。息子から父への手紙が読み上げられるなか、傍聴席の遺族の関係者席に前回まではいなかった子どもが座っていたら、被害者の息子だと思うだろう。裁判官と違い、裁判員は一般人だ。いくら公平な判断を求められていても、父を失った幼い息子の姿を見れば、犯人の罪を重く考えるかもしれない。

裁判員の同情を誘うために、来たくもない裁判に来なければならない蓮の気持ちは、大人たちにとってはどうでもいいことなのだ。

 

 

蓮の手紙を読み上げる検察官はの声ははきはきと、よく通る声だった。だからだろうか、全く心を動かされなかった。蓮が書いた文章のはずなのだけど、知らない人が書いたように感じた。

 

蓮は、法廷に入ってからずっと、ここにはいたくないという感じでもじもじしていた。自分の書いた手紙が読み上げられているときは、その居心地の悪さから、隣にいるわたしにここから出たいと訴えた。わたしは蓮の手を引いて外へ出た。

 

一体蓮は、犯人を前にしてどう思っているのだろう?表情からは読み取れなかった。

 



 

蓮は、父を亡くしたにもかかわらず泣き言ひとつ言わない。兄が死ぬ前と死んだ後で、一切様子が変わらない。もちろん悲しいという想いはあると思うけれど、決して表に出さない。

 

裁判の前だったか後だったか忘れてしまったが、蓮が家に遊びに来たときに2人で散歩をしていると、「ママに彼氏ができたらいいな」と言い出した。わたしはとても驚いた。いいの?と聞くと、「うん、だってママひとりで大変そうだから」という。

父を失った息子が、そんな風に思えるものなのだろうか?自分の寂しさよりも、母の大変さを心配している。10歳のその小さな身体から溢れ出す優しさと勇敢さを感じた。高木家で最も偉大なのは蓮かもしれないと思った。

 

困難は、それを受け入れるだけの器を持った人にしか降りかからない、という言葉を聞いたことがある。もしもそれが本当だとしたら、確実に蓮は父を失うことを、そしてそれが第三者の手によって失われるということを、受け入れられる器を持っているということだ。

もしかしたら蓮は、父を失うべくして失ったのかもしれない。

 

そう思うと、すべてのことに意味があるのだと思う。蓮にとって父を失うということは、彼の人生で大きな意味を持つことなのだ。それがどんな意味なのかは、蓮が見出していく。

 

 

人生におけるありとあらゆる困難、苦痛、悲しい出来事は、すべて起こるべくして起こっている。そこにどんな意味を見出すのかは自分次第だ。わたしたちは起こる出来事によって決定づけられるのではなく、起こる出来事にどんな意味づけをするかで決定づけていくのだと思う。

 

兄の死は、わたしに何を教えようとしてくれているのか。兄の死を、どう意味づけるか。それはわたしの選択次第だ。




続く。
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2012年9月16日、兄が傷害致死で殺された。享年31歳だった。

当時20歳と21歳の犯人の男ふたりは、今刑務所にいる。


あの出来事から今に至るまでのわたしの心境や、わたしたち家族に起こったことを書いていこうと思う。






2013/6



犯人の弁護士はそれぞれに2人ずつ、私設弁護士を雇う経済的余裕がなかったためか国選弁護人がついた。

 

安田の弁護人が風変わりでおもしろかった。

名前は忘れてしまったが、40代前半くらいで真っ黒なロン毛に黒縁のメガネ。紀里谷和明さんを色黒にしたような風貌だった。裁判長から「弁護人はもっと大きな声でしゃべってください」と指摘を受けるほどぼそぼそとした話し方で、例えるなら古畑任三郎を100倍ぼそぼそさせたような感じだ。

 

はじめはその芝居がかった振る舞いにイライラしたりもしたが、裁判も中盤に差し掛かかり、彼の弁護士魂みたいなものを感じた場面があった。

 

裁判では検察側、要するにわたしたちの側の証人として、事件当日犯人たちと一緒にいた仲間が数人法廷に立った。彼らは検察と弁護人双方からの質問に答えた。4回目くらいの公判だったと思うが、図体のでかいぬぼーっとした男が証人として出廷した。その男は本当にぬぼーっとしていて、検察側からの質問に「知らん」「そう」「わからん」「うん」と、文章ではなく単語で回答していた。

 

検察の質問が終わり弁護人が質問する番がやってくると、唐突に紀里谷風弁護人が「あなたはウソをついていますね」と言いだした。ぬぼーっとした男は抑揚のない声で「ついとらん」と答えたが、紀里谷は「そんなはずないでしょう。あなたの証言はウソです」と繰り返した。相変わらず「ついとらん」を繰り返し、そのやりとりが何度かなされた後、紀里谷がいきなり大声で「あなたは事件の数時間前、△△にいたと言っていますが、本当は◯◯という女性と一緒にいたでしょう!」と、事件とは全く関係のない女性の名前を持ち出して怒鳴った。

 

これには法廷内の誰もが驚いた。まず、なぜいきなり声を荒げたのか。そしてその女性は一体どこの誰なのか。

法廷内にいる全員の頭の上に?マークが浮かんでいる中、男が冷静に「おらん」と答えているのを聞いて、その動じなさ加減に敬意を表したい気持ちになった。

 

どうやら紀里谷の目的は、ぬぼーっとした男の知人の女性の名前を出すことで動揺させ、裁判員らに「この男の証言は信用できないかもしれない」と思わせることだった。

だがあまりにも無表情で淡々と「おらん」「ついとらん」を繰り返す男に、明らかに紀里谷の作戦は失敗していた。

 

質問が終わり男が傍聴席に戻ろうとしたとき、紀里谷が男の肩に手を置き、耳打ちしたのが見えた。知人の女性の名前を出したことをわびていたのかもしれない。きちんとフォローを入れるところにわたしは好感を抱いた。相変わらず振る舞いは演技がかっているし、ぼそぼそとした喋り方ではあるが、紀里谷は裁判に関わる人の心情を気遣う優しさを持っていた。

 

こんなこともあった。

 

紀里谷が兄が飲酒運転をしていた事実について安田に質問する場面でのことだ。

紀里谷が弁護しているのは罪を認めた殺人犯だ。被害者は死んでいる。そして法廷には遺族がいる。そういった場面で被害者の過失について言及するということは、遺族の感情を逆なでする行為になる。

それを思いやる気持ちが、彼にはあった。

安田への質問が終わり、裁判が休憩に入る前、紀里谷はわたしたち遺族に向かって深々と頭を下げたのだ。5秒間くらいだったと思う。頭を上げた紀里谷の顔は苦悶に満ちていた。握った拳は小刻みに震え、泣いているように見えた。

 

遺族弁護人を通じて、紀里谷からメッセージが届いた。それによると、どうやら紀里谷は実の息子を亡くしているらしい。だからわたしたち遺族の気持ちは痛いほどわかる。だが、わたしは犯人の弁護人だ。真実を追究する義務がある。ということだった。

それが真実かどうかはわからないし、遺族に恨まれたくない一心でメッセージをよこしてきたのかもしれない。それはわからないが、わたしは紀里谷のいうことは真実のような気がした。

 

風変わりな弁護士のおかげで、わたしはほんの少しだけ、息継ぎができる心の空間が増えたような気がした。




続く。
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2012年9月16日、兄が傷害致死で殺された。享年31歳だった。

当時20歳と21歳の犯人の男ふたりは、今刑務所にいる。


あの出来事から今に至るまでのわたしの心境や、わたしたち家族に起こったことを書いていこうと思う。






2013/6



裁判が進むにつれ、犯人の生い立ちが少しずつ明らかになっていった。覚えている範囲で書いていこうと思う。

 

大谷は事件当時20歳。生活保護を受けている母と姉と3人で暮らしている。兄は結婚して子どもがいる。高校を卒業後、しばらくふらふらしていたが、兄の紹介で建設現場で鳶の仕事をはじめるものの長くは続かず、半年ほどで辞めて日雇いを転々としていた。

わたしの見る限り大谷は鳶とは無縁の風貌をしている。なぜ大谷の兄は鳶職をすすめたのだろうか。鳶どころか力仕事系全般向いていないのではないかと思うほどひょろっとした体つきと真っ白な肌なのだ。研究員とか数学者とか言われたほうが納得がいくくらいだ。

 

 

安田は事件当時21歳。大谷との関係は、先輩だったかただの遊び仲間だったか、どちらか忘れた。

なんらかの理由で両親とは疎遠になっている。彼女と二人暮らしをしていて、事件当時彼女のお腹には安田の子どもがいた。事件が起こり安田が逮捕されたため中絶した。

 

ここにも失われた命があったことを、これを書くまで忘れていた。

 

仕事は建設作業員。2年近く働いていて勤務態度はいたってまじめ。遅刻や無断欠勤などもしない。安田の同僚によれば、安田がいないと現場が回らないそうだ。同僚からの信頼は厚い。

 

 

 

大谷には子どもっぽさを感じずにはいられない。周りの人間に守られていることを自覚していない子ども。柵で囲われていて襲ってくる敵がいない状況だから吠えることができることに気付かず、自由な存在であるかのように錯覚している。

人間としての厚みがない、うすっぺらな存在だ。

 

裁判の終盤に裁判官や裁判員に向けて反省の意を語る場面があった。10人ほどの大人たちを前にした大谷の声はかぼそく消え入りそうだった。耳は真っ赤で握った拳は震えていた。「堂々さ」のかけらもないその姿に、哀れみさえ感じた。そうだこいつはガキなのだ。ガキがイキがって、相手を殴ったら死んじゃいました、僕のせいじゃありません、ということなのだ。そう思うと呆れて怒る気力も失せる。

 

きっと反省もしていないだろう。殺したわけでもないのに(結果的に殺しているのだけど)なんで5年半も服役しなきゃならないんだ?と思っていることだろう。大谷は賠償金の金額に不服を申し立てている。

 

 

安田は大谷に比べると頭がよく、立場をわかっている感じがする。裁判中は終始うつむき加減で余計なものは見ない。無駄な発言はしない。考えてから物を言う。きっと弁護士に振る舞い方を指導されているのだろうが、安田はそれを肌感覚でわかっているようだった。

 

大谷の兄は法定に来ていたが、安田の親族は私が知る限り誰一人傍聴に来なかった。どんな人生を歩んできたのだろうか。親との関係はどうなっているのだろう。

安田の家庭環境を想像すると、暴走行為に向かうのもわからないでもない。

 

 

安田は兄を殴った理由を、大谷のバイクに傷をつけたことにカッとなったこと、仲間が見ている場面で相手を殴れば、かっこつけることができると思ったからだと語った。とんでもなく幼稚だが、そういう気持ちが集団の中にいると湧き上がってくるのはわからないでもない。

 

 

わたしが犯人を目の前にしても憎悪の気持ちが湧いてこないのは、結局のところ、イキがったガキに呆れているのと、家庭環境が悪かったためにゆがんでしまった男に同情しているからなのかもしれない。

彼らを見ても、心の底から沸き起こる憎しみのような感情が湧いてこない。

 

これは慈愛の心というよりも、むしろ諦めに近い感情だと思う。もう、仕方がないよね、という気持ち。わたしはそういった気持ちを持てることを、感謝しなければと思う。誰にかはわからないけれど、誰かに感謝したい。執念の炎を燃やせるようなタイプの人間でなくて、本当によかったと思う。

世間では「冷めている」と言われるような感情が、このときばかりは役に立つ。




続く。
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2012年9月16日、兄が傷害致死で殺された。享年31歳だった。

当時20歳と21歳の犯人の男ふたりは、今刑務所にいる。


あの出来事から今に至るまでのわたしの心境や、わたしたち家族に起こったことを書いていこうと思う。






2013/6


およそ10回にわたる裁判が始まった。



事件当日の様子が次々と明らかになった。犯人がその日にあった出来事語り、それを図で説明した。

事件の概要はこうだ。





事件現場は愛知県名古屋市港区の国道302号の路上。犯人たちは車5台、バイク4台ほどで仲間内のドリフトを見に工場地帯へ向かって走っていた。


犯人たちは片側一車線の道路を、時速30kmで何台も連なって走っていた。運の悪いことに、兄はその集団の後ろについた。さらに運の悪いことに、兄はそういったとき、大人しく後ろを走り続けるようなタマではなかった。


反対車線へ出て猛スピードで集団を追い抜いた兄の行動に、バイクで先頭を走っていた犯人の大谷が怒りを感じてすぐさま抜き返した。そしてものすごく速度を落とすか止まるかして、兄の車が大谷の運転するバイクに追突した。


この追突で大谷が怪我をすることはなかった。だが激昂した大谷が兄の運転する車に近寄り、兄も車を止めて外へ出た。大谷は兄の胸ぐらをつかみ、兄は大谷の肩を掴んだ。兄の身長は、大谷よりも15センチほど高い。

「テメェなにやってんだ」という大谷の言葉に兄も応戦し、ふたりは額を突き合わせてにらみあった。


そこで大谷が、兄が飲酒していることに気づいた。「お前酒飲んでるんだろう。警察に通報するぞ」と言われ、兄はなにも言えなくなってしまった。無抵抗になった兄を、大谷は胸ぐらをつかんで体を運転席側のドア付近に叩きつけたり、平手で何度か殴った。それでも兄は無抵抗だった。兄の体は、頭は、大谷に揺さぶられてぐらぐら揺れた。



少し遅れて、集団の後方をバイクで走っていた安田がやってきた。改造したバイクのマフラー部分が走行中に落ち、取りに戻っていたために集団から少し遅れをとっていた。

安田は仲間から、大谷のバイクに兄の車が追突したと聞くやいなや、マフラーを持ったまま兄と大谷の元へ駆けつけ、兄の太ももとお尻のさかいめあたりをマフラーで殴った。わたしの予想では、大きな痛みを伴うものではなかったと思う。お尻の辺りのやわらかい部分に当たっているし、この打撃で兄は倒れることはなかった。マフラーを捨てた安田は、兄の顔面を拳で2、3発殴った。





一方的に殴打を受けた兄が、車へ戻ろうと歩きかけた瞬間、ぐらっと体制を崩し地面に突っ伏した。受身も取らずに後頭部を地面に強打し、ゴンっとかゴリっとかいうにぶい音がした。犯人と数人の仲間たちの証言では、殴打後兄は数歩歩いたとされているが、仲間の中には安田の拳によって転倒して頭を打ったと証言する者もいた。真実はわからないが、後の医師の証言によって前者が正しいと裁判では判断された。

胸ぐらをつかまれて激しく体を揺さぶられたことによって頭がぐらぐらと前後に揺れたり、殴られたことによって頭が左右に揺れたりなどの「頭が激しくゆさぶられること」によって脳の血管が切れたことが兄を死に至らしめた決定的な要因となったことが証明されたからだ。





安田の打撃により頭を打って死ぬことと、大谷と安田の行為によって脳みその血管が切れて死ぬこと。どちらも彼らが兄を死なせたことに変わりはない。だけどわたしは後者でよかったという安心感のようなものを感じた。犯人たちの行為以外にもなにか別の要因があってほしいという思いがあったからかもしれない。

本当は血管はもろくなっていて死期は近かった。そこにたまたま殴打が重なり、死に至った。犯人たちの行為だけで兄が死んだのではない。犯人たちが兄の人生をうばったのではない。兄は死にゆく運命だったのだ。

わたしはそう思いたかった。そう思うことで絶望の中に少しだけ空間のようなものができる。絶望で満たされた心の中にできたわずかな空間では、息をすることができる。苦しくなったら、そこに頭を突っ込めばいい。息が整ったら、また絶望の中に身を投じればい。そんな空間だ。


その空間のおかげで、わたしは過酷な裁判を乗り越えることができた。




続く。
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